昨日のブログで、他分野のスポーツとの交流を提案させていただいた


が、私はいろいろな競技の要素を競泳の練習に取り入れてきた。


私自身、水泳のみならず、いろいろなスポーツをよく観戦するが、そこ


から参考になる考えやテクニックなどが多いものである。


例えば、クロールのタンブルターンの技術を高めるためにマット運動


の伸膝前転の練習をやったこともあるし、呼吸の練習に野球のトス


バッティングを行った事もある。


やってみると水泳においては高いレベルを持っていても他の運動は


なかなかできないという選手が割りに多いことに気がつく。いわゆる


運動音痴である。こういう選手は将来的に大きな伸びが期待できない。


よく欧米のトップ選手の中には水球、フットボールなどでもナショナル


チーム級の選手たちが多いことを聞く。運動音痴にはこういった選手


にはなかなか勝つことはできない。つくづく、選手たちには多くのスポ


ーツを楽しんで欲しいと思う。水泳馬鹿では寂しいのである。


ピープル(現コナミ)北助松時代の頃である。近隣のピープル他店と


合同の夏休み合宿を行った。会場となるスポーツセンターの施設内


のグラウンドも使用できるということで、新金岡店の藤田正敏コーチ


光明池の片原靖和コーチと相談し、他の競技を取り入れた新しい感


覚のプログラムで実施した。


午前中の水泳の練習後にソフトボールの練習を行った。当時、若手で


あった藤田正敏コーチは地域の早朝野球の監督をやっており、自身も


エースとして輝かしい戦績を誇っていた。


練習はさながら厳しいもので、ノック、ランニングなど選手はまあ、走る


わ走るわ。藤田コーチの檄はグラウンドにこだましていた。


その後、昼食が終わり、休憩をした後、今度はプールで水球の練習で


ある。専修大学水球部ばりばりのOBである新金岡のスタッフ 渡辺コ


ーチの指導により、かなり専門的な練習は選手も競泳の練習以上の真


剣さで取り組んでいた。


この合宿の中から選抜されたメンバーは、9月第1週目の土曜日に行わ


れた水球の公式大会に出場したが、悔しい負けを喫した。


さて、水球の練習のあとは、ふたたび選手はグラウンドに集合し、次は


ソフトボールのリーグ戦である。片原コーチもひとつのチームの選手とし


てがんばっていたが、選手の足をひっぱっていた。


この合宿は4泊5日で行われたが、いつも以上にモチベーションの高い


効果が得られた。


この何年か後のシマダ競泳塾時代、私の初期の教え子の宮川充氏から


の誘いで、女子選手2名をトライアスロンのビギナーの大会に出場させた。


スイムの得意な2名は、他の選手を圧倒的な差でバイクに乗り継ぎ、ラン


の後半までトップを維持したが、ひとりの選手、中西真知子は3位に入賞


した。


このレースで、トライアスロンの関係者の目にとまり、彼女はその道に入っ


た。2年後にはプロとしてワールドカップにも転戦し、シドニーオリンピック


は補欠におわったものの、アテネオリンピックにはメダル候補として、堂々


出場した。


水泳のみにこだわらず、いろいろなスポーツの楽しさを体験させた結果が


産んだ出来事であった。


古い話であるが、淀川善隣館時代に教えていた二人の小学生(同い年)


が高校生になり、他のスポーツでスポーツ紙を賑わせたことがある。


ひとりはサッカーであった。リレーで学童新記録のメンバーだった重成哲


正月の全国高校サッカーに北陽高校のストライカーとして出場、ベスト4に


入った。


もうひとりは、大阪屈指の進学校、北野高校ラグビー部を花園に導いた立


役者、栗山紀一。彼は現大阪府知事の橋下徹氏と僚友であり、同学年で


ある。


準々決勝の伏見工業高校戦でともに70m独走で前半をリードしながら後


半に逆転され敗退した。相手の伏見工業高校はこの年、2回目の花園優


勝を遂げた。


その後、私は伏見工業高校の山口良治監督の話を聞いて、大きな影響を


受けたが、それは単なる偶然であろうか。