1991年10月、半年前に高校性長距離チャンピオン山本雅志、

全国大会表彰台の常連の大本正彰、山辻葉子を含め5名を各大学に

送り出し、その夏はめっきりメダルの数も少なくなり、若干チー

ム全体が寂しくなってきていた頃だった。私のクラブの所属する

日本SC協会近畿ブロック南大阪地域委員会では合同練習会が実施

された。地域全体でもこれまでブロックで優位性を誇っていたが、

弱体化は否めず、なんとかその地位を維持するための方策として

この練習会を企画したものであった。

会場は大阪府堺市のDLLなかもずスイミングクラブの長水路プール

で行われた。

メンバーには各チームから、主に中学生の準全国レベルのフリー

スタイルの選手を中心に集められた。

地域委員会の方々から、

「島田君が、エース級を送り出した後の次の世代の選手を育てる

ところを実践でやって見せて欲しい。」

という要請で、私の指導で行われた。私もそのテーマに関しては、

試行錯誤をしている頃であったのでいい機会でもあった。私のク

ラブからは中学1年生の賀門哲教と小学6年生の田北誠の2名が

参加した。私はこの企画を自分のチームの選手をアピールするた

めにも絶好の機会といてとらえていた。賀門哲教はその夏の全国

ジュニアオリンピック13・14才男子1500m自由形で6位

に入賞していた。田北誠は11・12才男子200m自由形3位

の選手であった。他のクラブからは力量的に彼らと同等かそれ以

上のメンバーが参加していた。私は前日に二人には練習メニュー

をこっそり教えた。「なんとか最後までがんばるんだぞ」という

言葉を忘れずに添えた。

メインの練習を全員に発表した。

200m 3回 2分20秒サイクル ストローク重視
100m 2回 1分20秒サイクル スピードアップ
200m 2回 2分20秒サイクル ストローク重視
100m 1回 1分20秒サイクル オールアウト
  2セット セット間ロスタイム 0秒

参加選手たちは顔を見合わせて呆然とした。

賀門哲教と田北誠は水面に目を落とし、フーッと息を吐いた。

それというのも200mを2分を切って泳げる選手は誰もいな

かった。

たぶん、まるで異次元の世界の練習と感じたのだろう。選手た

ちの顔は反応に困ったかのようであった。

私は全員に練習の取り組み方を説明した。

「200mはサイクル内であればタイムはどうでも構わないが、

無駄な力を使わずに100mに備えなさい。100mはできる

だけスピードをあげなさい。できればレースペースよりも速く。

そしてラストの100m1回はオールアウト、全力で」 と。

賀門、田北は先頭に押し出された。

「お前ら、おっさんの練習なれてるやろ」ということだろう。

私はさりげなく緊張していた。この練習は始めての試みである。

二人にとってもまともに考えたら到底無謀なメニューであった。

地域の委員さん達も興味深々で見守っていた。

1セット目、先頭は賀門が引っ張った。200mは2分17.

8秒で泳ぎ、2.3秒休んで次のスタートに備えた。100m

は1分05秒でカバー、ラストの100mは1分03秒あたりま

で上げてきた。

1セット目が終わったところで賀門は、10秒後を泳いでいた田

北誠にトップを交代するよう命じた。

真面目にオールアウトしていた田北誠は面食らった。サイクルが

10秒早くなり、呼吸を整える時間もないまま2セット目に突入し

た。1本目の200mはなんとかサイクルを余したものの2.3本

目は1.2秒サイクルオーバーした。

100m1本目でなんとかサイクルに追いつき、2本目で正常に戻

した。後半の200m2本でタイミングを整えた田北誠はラストの

100mを1分2秒でオールアウトした。賀門哲教は2番手の利を

生かして1分1秒で1才年上の貫禄を見せた。しかし、他のチーム

の選手たちは力の配分を間違ったのか、大幅にサイクルオーバーを

して練習を終了した。

地域の委員さんも腕を組み、小刻みに何度もうなづいていた様に見

えた。

この練習は、トータル距離 2600m サイクル合計時間 31分

20秒であり、1,500mを18分以内で泳がなけれサイクルオー

バーするという、彼らにとってはレース以上の真剣さが要求されるも

のであった。

昨日のブログのテーマでもあったが、ショートサイクルを上手くこな

した例である。そしてこのストローク・スピードの複合練習はレース

での駆け引きに振り落とされず勝ちにつないでいく体力と技術の養成

に効果的であり、この後、合宿等で何度となく採用し、定番メニュー

になった。

ともあれ何とか練習は無事成功したが、二人は地域内に強烈な存在を

アピールし、先輩たちの抜けたチームの安泰を予感させた。

田北誠はこの1ヵ月後、南大阪地域大会において、1500m自由形

で日本学童新記録を樹立した。そして3年後の全国中学1500m自

由形優勝、高校2年生のインターハイ同種目優勝、大学2回生でイン

カレ同種目優勝と、史上初の全学校区分(小学校・中学校・高校・大

学)での同一種目チャンピオンになり、先輩たちをしのぐ選手に成長

した。