私のクラブは人数も少なく、また本拠を持たないジプシークラブにとって、


借りている施設が長期の休館日の場合、交流のあるクラブでの合同合


宿は非常にありがたいものであり、刺激もあって効果は極めて高い。


1997年の年末合同合宿は「タイガーホール・イン・OZAKI 」と銘打ち、


大阪阪南市・尾崎スイミングクラブのプールを借りて、シマダ競泳塾、尾


崎SS、ジェル岡山、ジェル北野田、太成高校の5クラブで4泊5日の行


程でを総勢38名で行った。


期間を通して練習の達成率をポイント化して、ランキングを作成し、最高


のポイントを獲得した選手には、MVP賞として、ミズノからロングパーカ


が贈られることになっていた。


MVPポイントレースは高校生、大学生がなかなか高得点を上げられな


い中、元気な小・中学生の戦いが白熱化していた。


前日まで、そつなくポイントを稼いできたシマダ競泳塾の杉井晴香(中3)


は、あらかじめロングパーカを試着し、自信満々であった。


2番手には、この合宿で急激に力をつけてきた林秀作選手(尾崎SS・小5)


が僅差で追っていた。


その二人の戦いを指をくわえてみていたのは、合宿参加者中最年少の


左官伸哉(シマダ競泳塾・小3)であった。彼は原因不明の腹痛等で、


時折練習をリタイアを繰り返すも、要所要所ではポイントを積み上げ、ベス


トテンをキープしていた。


そして、最終日。恒例の年忘れチャレンジカップ(記録会)を迎えた。


この記録会はベスト率に対して、それまでの練習の2倍のポイントが稼げ


るのである。


左官伸哉はここで得意のカードを切ってきた。なんと、1500m自由形を


エントリーしてきたのである。彼のエントリーを受けて大幅ポイントアップ


を狙って、各チームの小学生は全員、この種目に挑戦した。


心も体も調子のいい左官伸哉は、このレースのために力をためていたの


か、ここぞとばかりに飛び魚のように泳いだ。合宿を通してがんばってきた


高学年の選手がペースを落とす中、1450mの鐘と同時にラスト50mを


ほとんどベストタイムでカバーした。記録は20分20秒5 大ベストであっ


た。


自信満々でポイント集計を待つ間、尾崎SSの浜田コーチが彼に尋ねた。


「伸哉、お前せんご(1500m)を泳いでしんどないんか?」


彼はこう答えた。


「あんな、せんごはな、流してても島田コーチわからへんねん。ラストだけ


がんばっといたらええねん。」


私はこの話をあとで聞いて吹き出した。でもこのタイムで泳いで本当に


流していたとすれば凄いことである。倍率は脅威の36.43倍であった。


・・・そうしているうちに遂にポイント集計の結果が出た。


前日まで2番手だった林秀作選手(尾崎SS)が杉井晴香(シマダ)を抜き、


僅差でMVPを獲得した。杉井晴香がつばをつけていたロングパーカは


彼の体をすべて包み込む大きさで、すそは地面につきそうであったが、


誇らしいガッツポーズはその後の大ブレイクを予測させた。


左官伸哉は結果を聞き、ま・さ・か の表情を浮かべた。


まあ、まあ、いつもがんばらないとだめなんですよ。