わたしは小さいころからロボットが好きだ。

 ロボットや機械、主に電気より電子回路系にワクワクする。

 

 でも、絶望的にすうじが苦手だ。

 

 こんな風に、自分の好きなことを挙げていくと、たくさん出てくるのに、

 同時に、でも・・・と行き詰ってしまう。

 

 例えば、何かを発信するのは好きだ。

 でも、大枠のテーマは決まっているのに、肝心な具体性がない。

 伝えたいのはこれ!!

 でもそこに至るまでの経緯や、結論などがとても浅い。

 

 

 好きと嫌いは表裏一体で、好きなことをするためには嫌いなことや嫌なことはどうしても付きまとってしまう。

 好きなら自己満でやるぶんには別にいいはず。

 

 それでも、やっぱり誰かに認められたい思いが出てきてしまう。

 人と、なんなら最近の子は器用で賢いから、割と何でもできてしまう。

 その子たちが作ったものや、考えたものなどを見ると、途端に自分の作品はおままごとに見えてしまう。

 

 そんな見ず知らずの人とくらべたところで...と、頭ではわかっていても、こころがなかなか追いついてこない。

 

 やっぱり完璧なものを目指したくなってしまう。

 

 そして、その好きなことでご飯が食べられるようになりたいとも思う。

 

 

 朝、満員電車に揺られている社会人の人たちは、どこか疲れていて、活力がないように見えてしまう。

 もちろん、朝だからまだボーっとしているのかもしれない。

 でも、本当に好きなことでご飯を食べている人たちは、どこか大変さがありつつも、

 その顔には活力があり、目が輝き、見た目も若々しく見える人が多い気がする。

 

 私が何かを極めてその域に達するのはいつだかわからないけれども、それでもその日を夢見てる。

 

 

 

 

 

 大人が夢みたいなことをいうと、いい年をして、まだ現実をみていないのか...とあきれる人や、

 お前はもう若くない。という人が必ずと言っていいほどいる。

 

 家族を持っているのなら、家族側からしたらちょっと、というか、かなり大変だと思う。

 自分の一存では夢を追うか否か決められないこともあると思う。

 

 それでも、夢をあきらめずに本気で追い続けるのはとっても素敵なことだと思うんだ。

 

 

 もし、夢を捨てるか、追うかで迷っているなら。

 ぜひとも、「今」一番大切にしたいことを考えてみてほしい。

 そして、「明日」死んだときに一番後悔しない選択肢を選んでほしい。

 

 結果の有無はどうあれ、挑戦したことを誇りに思うのか、

 

 自分の夢よりももっと大切にしたい何かが見つかって、夢よりそれを大事にした事実に微笑むのか。

 

 家族がいるなら、家族の理解が必要になっちゃうけど、

 

 もし、それ以外の外野が止めようとするなら、否定的なことを言うなら、迷わず突き進んでみてほしい。

 だって、君が何をしようと、彼らの人生には何の影響も与えないんだから。