南房総市・久保【真野大黒】編 | Mrs.風来坊の足あと手帖

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千葉県を中心に、休日散策の記録を書いてます。
最近は御朱印収集に目覚め、神社仏閣巡りにもはまってます。

散策以外にモノ作りや日々の呟き事等も書いてます。
よろしくお願いします。

真野大黒に移動してきました。
地図はこちら↓


真野大黒の駐車場に来たら、駐車場を囲むように一面アジサイが咲き誇ってました。
ちょっと枯れ始めで残念でした。もっと早く来ればよかった…。






真野大黒  
真言宗 智山派 高倉山

《由緒》現在の場所より東方に1kmにある高倉山頂に建立されたので、高倉山と名付け、真野谷にあったので真野寺となり、大黒尊像が安置されているので真野大黒と称したそうです。
《歴史》聖武天皇時代の神亀2年(725年)高僧 行基菩薩によって開山。
えんぴつ行基とは?
奈良時代の日本の僧侶。奈良の大仏造立の責任者。東大寺の四聖の一人。
古式の日本地図である『行基図』を作成したとされ、日本全国を歩き回り、橋や用水路など治水工事を行い、行基が開基した寺院も多く存在する。←真野大黒もその一つなのですね!
僧侶を国家機関と朝廷が定め、民衆への仏教の布教活動を禁じていた時代に、禁を破って近畿を中心に階級を問わず仏教の教えを説いた人で、朝廷からは度々弾圧や禁圧を受けたそうですが、民衆の圧倒的な支持を力に逆境を撥ね飛ばした人。
ふと思い出しました。前に『降誕釈尊像』について調べた時に、お釈迦様の生まれた時の姿の像なのですけれど、『天上天下唯我独尊』と言って生まれてきたそうで、その意味が『天の上にも天の下にも私一人こそが尊い』という意味で、人は生まれや育ちに関わらず、皆平等に尊いと言う意味がある言葉だそうで…。
だから、行基も階級に関わらず、仏教を広めたのかなとふと思いました。
特に宗教には入ってませんが、良い言葉は心に書き留めておいてます。(笑)

話しは真野大黒の歴史に戻ります。(笑)
その後、お寺は建永元年(1206年)野火によって焼失、翌年大黒天の信仰の厚い北条義時が私財を投じて七堂伽藍を再建、覆面千手観音(行基作)と大黒天像を安置。

・治承3年、源頼朝公が源氏再興祈願で立ち寄る。
・里見義尭公より領田を賜る 。
・徳川将軍家から御朱印四十三石を賜り、隆盛を極める。

その後、元禄地震、関東大震災と二度の大被害を受けたものの再建。現在の本殿は昭和35年落成とのことです。

本堂
行基作と伝えられる、一木から掘り出された木造千手観音立像(高さ1.72m)と、慈覚大師が掘った木造大黒立像(座高1.41m)が安置されています。
時間が遅かったので中は薄暗く写真撮影はしてません。
えんぴつ慈覚大師って?
『円仁』慈覚大師とも呼ばれ、入唐八家(最澄、空海、常暁、円行、円珍、宗叡、円仁)のうちの一人。天台宗山門派


水子地蔵尊


こんな所に恵比寿さんが…。


七福神堂


百寿延命地蔵尊


アジサイが沢山…。


鐘突堂


本堂の屋根の下に『邪鬼』が…。
お堂の倒壊を防ぐ守り神です。


真野新四国八十八ヶ所 お砂踏霊場満願所
何もお願いしなかったですが、ぐるりと一回りしてきました。


ドーナッツ型の植木。中央には蘇鉄が植えられていました。


(番外編【鴨川市・安房天津のサンセット他】 に続く)