ちゃんびんの自由手帳 -3ページ目

ちゃんびんの自由手帳

心機一転、ということで、ちょこちょこリニューアルさせました!!

Twitterでは書ききれない、日常の欠片や想いを綴っていこうと思います

ちゃんびんです。
久々に暗い話をします。

思いのままに書くので、明日の自分にドン引きされようと、これが今の本音なので書きます。
この時点で日本語成立してないけど、これからもっと謎の言語が出て来るから、嫌な予感がした人は読まないでね。
という意味を込めて、だいぶ過激なタイトルにしてます。

さて、今の本音について。
今月下旬に、好きなアーティストのライブがあります。
アーティストっつっても、とあるアイドル系作品のアイドルユニットなんですけど。
どうせ当たらないだろうな~~~とダメ元で昼夜両方申し込んだら、両方当たっちゃいました。
幸い、バイトで両方のチケ代は稼げたので、無事払込は出来ました。
あとは物販です。
物販のために稼ぐだけです。
最低でも1万は必要なので、まぁ頑張って稼ぎます。
単発のお仕事で、倉庫なので、しょっちゅう仕事がなくなるんですけど、
まぁ派遣会社が頑張ってほかの仕事を探してくださるので、私もちょっと現場が遠かろうと頑張って行くだけです。

結論を言います。
ライブ、全然楽しみじゃないです。

新情報が出て、コメントとか新楽曲とか聞いたりする度に心は踊るんですけど、
「ライブがあるんだから、毎日がんばろ~~~!」
「物販高いけど、稼ご~~~!」
とまで心が動かなくなってしまいました。
なんでやろ。
彼らのことが嫌いになったわけじゃないのに。
何だったら思いっきりエロエロな二次創作今書いてんのに。

当たってしまったからその日を待つ。
物販や交通費を稼ぐために必死になる。
そんな感覚になってしまうんです。

こんな感情や思考はオタクとしてあるまじき行為で。
チケットを取れなかった人達にとても失礼なことで。

何だったら、母が勝手に申し込んで勝手に当たった、母と私が昔好きだったアニメのイベントも、
後輩達の自主公演も、
これから起こる「楽しいはずの予定」の全てが、
楽しみだと、全然思えないのです。

スッスッス見ろやと前記事で書いたような気がするけど、
そのアニメ放送、全然見てないです。
録画を再生する気力がわかない。
なんでや。
好きな作品じゃないんけ。

好きなバーチャルYouTuberがいて、
その人の配信を生で見て、
コメントして、
それが読まれてめっちゃくちゃ嬉しかったんですけど、
その喜びは一過性のものでしたね。

今、あの時の喜びを思い出して頑張ってみようとするけれど、全然無理です。


楽しいことが起こると楽しめるけど、
過去に起きた楽しみが自分の中から消えていき、
これから起こる楽しみに期待を膨らませることが出来なくなっているわけです。

そんな自分に絶望して、シャワー浴びてる時とか、夜寝ようとしている時とか、
ぶわっと涙が出て止まらなくなる訳です。


で、タイトルである本題の話をします。

ぶっちゃけ、労働が嫌になったわけです。
これから起こる楽しみのために、労働をしなきゃいけない。
これからも生きていくために、労働をしなきゃいけない。

そんな中、
手取り30万50万がどうのこうの、老後2000万がどうのこうの、
そんな話が一気にぶわっと飛び出して、私はぷっつんしちゃったわけです。


普通に働いてる人でさえ、しなくてもいい苦労をする必要がある世間で、
わざわざフリーターでいるという選択肢を選んだ私は生きていけるわけがないじゃん、と。


今、現役でバリバリ働いている人達の苦労やら嘆きやら叫びやらを知ろうともしない世代の人達が、現役の人達を、なんならこれから現役になろうとしている人達まで、とても容易く殺していく時代ならさぁ。

頼むから私を殺してくれよ。
私を活かしておいたって世間的にはなんの得にもならんからさぁ。
未来の芽をつんでしまうくらいなら私を殺してくれよ。
その自慢のプリウスで、どかんとやっちゃっておくれよ。

…………と、ニュースを見る度に思うわけです。
被害者の顔があっさりと報道されて、それを見て悲しくなる日々を送って、ようやく、ようやく、加害者がテレビの画面に現れて、私は思うわけです。

私がこの人に殺された世界線もあったのだなぁ、と。

詳細は伏せますが、
「死にたいなら一人で死ね」と批判を浴びせられる加害者がいて。
私はその人に殺されたかったなぁ、と、ふと思ってしまうわけです。
薄れていく意識の中、その人が死んでいくのを見届けたかったなぁ、と。
お互い願いが叶ってうぃんうぃんじゃないですか。

なんで、わざわざ「生きたいと願う人」を殺してしまうんだろうか。
「死にたいと願う人」は生かされてしまうんだろうか。

中学生の頃から、それが不思議で不思議でならんわけです。


どうしてこんなことを思ってしまうのかっていうと、
労働をしなきゃいけない義務から逃れたいとか、
一個人ではなく性別で見られなきゃいけない時から逃れたいとか、
楽しみを楽しみとして考えられない自分から逃げたいとか、
これらのことについてぐるぐるぐるぐる考えているこの脳みそをほっぽりだしてしまいたいとか、

要するに「逃げたい」わけです。
人間である自分から逃げたい。


ペット、て存在があるじゃないですか。
私はあれになりたかったです。

飼い主に尽くされ、そのお返しにひたすらその人を癒してあげる存在。

それになりたかったなぁ、て。
ずっと。

役者になりたい、て志して、わざわざこんな茨の道を選んでるのは、そんな思いが根底にあるような気がします。

ファンに尽くされ、そのお返しにファンに何かをあげたいわけです。

愛されたい。
そのお返しに愛をあげたい。

愛されたい。


愛されたい。










ペットは、働かなくていい。
一日中ごろごろしてたって、何も言われない。
毎日決まった時間にご飯が出て、お外に出る時もある。
自分のことは、飼い主さんが全部やってくれる。
その代わり、自分は飼い主さんを癒す。
役目だからとかそんな理由じゃない。
飼い主さんが大好きだから。

大好きだから。
精一杯癒す。
大好きに、大好きで、応える。

大好きだから。





こんなこと書くと、
「お前、死にたい人に対して叱咤する記事書いてただろ」
て思われそうですが、

あれは私の「理性」が書いた記事です。

「感情」は、どうしても「理性」の考え方ができないのです。


世間には、「理性」で生きてる人しかいない。
なぜなら、そうしなければ生きていけない世の中だから。


長々とすみません。
こんな重たすぎて意味わからん内容なのに読んでくれてありがとう。

それじゃ、私の「理性」にちょっと叱られてきます。


また明日も明後日も、「理性」に叱られながら、
生きたくても生きられなかった人達に、
死にたいけれどそれでも前を向いて必死に頑張ってる人達に、
無礼なことをしまくって恥ずかしく生きていきます。