人間というのは、つくづく群れる生き物なんだなあと思う。
南の海の水中映像とかに、よく小魚が何千匹と群れている様子が写される。
みんなが右を向けば右、左を向けば左と、小魚たちは見事なくらいに一斉に向きを変える。
そうやって、捕食者である大きな魚から身を守っている。
皆で群れていれば、一匹で泳いでいるよりも捕食者である大きな魚に食われる確率を減らせる。
他の魚が左を向いたときに、もし右を向いてしまったら、自分一匹だけが取り残される。
捕食者にガブリと食われる危険は、一気に高まる。
だから必死で群れの動きに合わせる。
人間も同じことをしている。
みんなが流行のバッグを買えば、自分も同じバッグを買う。
誰かが麻薬で捕まれば、みんなで叩きのめす。
誰かがヒーローということになれば、みんなで褒めまくる。
みんながどう思っているかが大事で、そのバッグだのタレントだのを自分が好きとか嫌いとかは、二の次なのだ。
あるいは、自分が好きかどうかなんて、考えすらしないのかもしれない。
見る目のある人間なら、笑いが止まらないはずだ。
網をしかけて、その小魚を根こそぎ捕まえるのはちっとも難しいことではない。
まあ、人間の場合は食われるわけじゃない。
おそらくそのまま網の中で生かされて、何も気付かないまま搾り取られるだけ搾り取られることになるのだろう。
そういう生活が嫌じゃないという人には、別に何も言うことはない。
けれど、そこから逃げ出したいのなら、周囲の群れの動きをよく観察することだ。
そしてみんなが右へ動いたら、何があってもその方向にだけは行かないようにする。
群れから抜け出して、自分のいた群れを、離れた場所からもう1回よく眺めてみるといい。
自分がどんなに恥ずかしいことをしていたかが、はっきりと見えるだろう。
周りの人間がみんな、王様の衣装は素晴らしいと言っても、自分の目に裸に見えるのなら、王様は裸なのだ。
そこで自分の抱いた違和感に蓋をして王様の服が見えるふりをしていたら、いつまでも群れからは抜け出せない。
ただし、そこで実際に自分の感じていることを口に出して、「王様は裸だ!」と言うかどうかはまた別の話だ。
いったんそれを言ったが最後、後戻りはできない。
周りの人間に叩かれようとも、その道を行かなきゃいけなくなる。
それがつまり、俺のやってきたことで、自分のことだからよくわかるのだけれど、それで喰えるという保証はどこにもない。
のたれ死にすることになっても、俺に文句は言わないように。
※出典「超思考」 北野 武 幻冬舎
事業の世界だけでなく、スポーツでも芸能界でも、成功している人は人と同じことはしない。
人と違うことをするから一歩先んじることができるし、生き残ることもできる。
皆が右を向いたときに、左も見ることができる人は、冷静に自分を客観視することができる。
多くの人が熱狂の中にあるときほど、「待てよ」と違う選択肢も考えることができる。
それは、一発あててやろうというような派手なことを目指すのではなく、むしろ地味でコツコツと報われない努力の方が多い。
だからこそ、人と違う道を行くには勇気と覚悟が必要だ。
「人は群れる」
あえて、違う道を進む勇気を持ちたい。
【人の心に灯をともす】より
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