(一部抜粋)
秋田の聖母からの輪廻は続く
昨日、秋田の聖母マリアからメッセージを受け続けていたとされる、シスター笹川さんが逝去されたことについて記事にしました。

シスター笹川さんが亡くなったことは、ライフサイト・ニュースというカトリック系の報道メディアで知ったのですが、その記事を見ていたときに、サイドバーなどに表示される別の記事の中に、

「人間の生命は受胎から始まる」

というタイトルの記事がありました。

これはどういうことかというと、カトリック系のこのサイトは、中絶に強く反対しているメディアのひとつであり、そして、逆にアメリカには「中絶を推し進めている団体や専門家」がたくさんいます。

そのような中絶を推し進める人たちの「概念」のひとつに、「お腹の中の赤ちゃんは、成立した人間ではない」という考え方があり、それはつまり「妊娠した人の臓器の一部に過ぎない」というような言い方でもいいかもしれませんが、そういう概念に対しての反対を表明する意味での、

「人間の生命は受胎から始まる」

という記事でした。

記事では、「受胎した瞬間から、それはすでにひとりの人間である」ということになり、それを殺害するということには罪がある、というのが、このカトリック系メディアの主張だと思います。

今回は、その記事をご紹介しようと思うのですけれど、ちょっと、この「中絶」という言葉から、またも、昨日の記事でもふれた「ファティマの話」に戻されてしまうのでした。それで、少し横道に逸れる話になりますが、書かせていただこうと思います。


なお、一応書いておきますと、私自身の中絶そのものに対しての意見を述べるつもりはありません。

この世にはさまざまな個人の事情や社会の事情があることも確かであり、一概に非難されるものだとも思えないですし、しかし、「いいことだとも思わない」という感じでしょうか。

このあたりは、あれですね。

比較的最近の「太陽活動とサイクルを共にするアナーキー・イン・ザ・UKを見て」という変なタイトルの記事にも出てきましたバンド Sex Pistols のジョン・ライドンさんあたりと似ている部分もあるかもしれません。

ジョン・ライドンさんは Sex Pistols の 1970年代のファーストアルバムで、「中絶に対しての強烈な嫌悪」を歌詞にしていました ( Bodies という曲。ここでの Bodies は中絶された赤ちゃんたちの遺体のこと)。

♪Body, screaming fucking bloody mess
Not an animal
It's an abortion

さて、話が混乱し過ぎる前に進めます。