「侵略的な人間とどう向かい合うのか」

例えば高速道路脇を見ると、大抵決まった雑草が生えている。

人間が意図的に草を刈り、更地にすると、最初に生えてくる雑草というものがある。それを侵略性の雑草と呼んだりするのだが、もう少しスマートな言い方をすれば、パイオニアプランツ。

例えば、イタドリ、クズ、ススキ、セイタカアワダチソウ。そしてその後に低木となるヤシャブシやハンノキ、あるいはアカメカシワ。

耕作放棄された畑でも同じような遷移を辿ることはある。

畑では、それ以外で言えば、アレチノギクやアカザ、シロザ、ヒメジオン、ハルシオン、イノコヅチ、カナムグラ、ヤブツルアズキなどもそうかもしれない。

これらは日照が強くなると真っ先に芽吹き、中にはアレロパシーと呼ばれる化学物質を分泌して、他の草の芽吹きと成長を抑え、我先にと育っていく。

このアレロパシーが厄介で、畑などでこうした雑草が繁茂すると、残念ながら野菜の生育は極端に悪くなることがあるので、耕作放棄地だからと言って土が肥えているとは限らない。

これらが収まり、一年性の雑草から多年性の雑草に変わり、低木が生えた後に高木が生えて、森として落ち着いた心地よい空間に戻る。

まぁ、そうなるまでに200年〜500年。長い年月がかかるものだ。

これ、実は人間界ととても似ている。

都会の様な街を作るために大規模に草木を刈って土を慣らして平らにする。つまり広範囲に自然を裸地に変えてしまうと、必ず他人を蹴散らす様な、自己中心的な人物がその地を支配し始める。

そこには草も木も生えないから、そうした我(が)の強い人間たちが我がもの顔で居座るのである。

少しでも押しの弱い人はなかなか芽吹くことができず、ともすれば弾き出されてしまう。これが人間のアレロパシー。侵略性のある人間とも言える。

都会とはそう言うものである。人より先んじて芽吹き、後から来る者を抑え、誰もが一人勝ちを目指す。負けることは死を意味するとさえ思い、どんな手を使ってでも抜きん出てやろうとする。

所詮、都会が扇動するスポーツもそう。1位だけが勝ちで、2位以下は敗北。1位だけが世間に認められて世の中を闊歩し、2位以下は敗北感を感じたまま生きていく。

本来スポーツは勝ち負けではなく、楽しむことが目的だった。誰が勝とうが誰が負けようが、終わったら全てを忘れて喜びに浸る。それで良かった。

しかし、勝つことだけに執着することで、スポーツマンたちは耐えきれぬストレスに苛まれる。そして負ければ絶望する。

反論も多かろうと思うが、僕はそんなスポーツは好きじゃない。

そんな時に、僕はどう考えてきたのか。

簡単な話である。勝っても決して喜ばない。負けても決して悔しがらない。それだけのことである。

畑ならば、1年性の草を刈り草堆肥を作り、多年草の草を刈って使った堆肥を土に混ぜ込んでいく。そうやって土を肥やしていき、弱い草も生えてこれる環境を作り続ける。それだけ。

人間アレロパシーが強い人がいたとしても、それに心を囚われなければいい。それらも自分の肥やしにしてしまえばいい。

「あぁ、こう言う人もいるんだね、面白いなぁ」
「そう考えるんだね、へぇー変わってるなぁ」
「あの人はあの人、僕は僕だし関係ないかなぁ」
と言う風に人間観察をすればいいのである。

それが自分が豊かになっていくための肥やしでもある。

長くなってしまったが、たかが我の強い人のために心を閉じる必要もない。自分のペースで生きていけばいいし、そんな社会を俯瞰で受け止めて、全てを自分の肥やしにすればいいのである。

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