【ある生徒の高校受験】 
 

私が講師になってまだ間もない頃。
 
S君は、確か中3の6月に途中入塾してきた生徒でした。
 
彼は、ちょっと変わったところがあって、
実は私の第一印象は良くなかったのです。
 
何しろ授業の時、机にノートを出さない、
宿題を出してもノートにやってこない、

数学の問題をノートを使わずにテキストの
余白でチョコチョコ計算をするので、
計算ミスばかりする。

要するにノートをいっさい持ってこないのです。
 
私はS君を呼びつけて言いました。

「ノートはどうした?黙っていたらわからないだろ」
 
それでも黙っている彼に、私の口調もつい荒くなります。

「ちゃんと言え。どうしたんだ、ノートは?」
 
S君は黙ってしたを向いたままでした。

仕方なく次からノートを持ってくるよう約束させ、
私はその場を収めました。
 
ところが翌日、やはりS君はノートを持ってきませんでした。
そして、その翌日も…。

私も頭にきて、彼を怒鳴りつけました。

「そうやって、おれに反抗する気だな。
 よしわかった。先生がノートをやるよ」

そう言って、500枚くらいあるコピー用紙の
ワンカートンをバンッと机に投げ出しました。

「これで文句ないだろ!これに宿題を書いてこい!」
 
すると、S君は「ありがとうございます」と礼を言うのです。
 
私は拍子抜けして「何だろう、こいつ」と思いましたが、
次の日はコピー用紙に宿題をやってきました。

7月に入り、暑くなってきた頃に、
今度はクラスの生徒がS君を何とかしてくれと訴えてきました。
 
ずっと同じヨレヨレのTシャツとジーパンを着てくるので、
それがにおうというのです。

そういえば、入塾した時もまったく同じ服だったことを
思い出しました。

「S君、お前な、不潔だろう。ちゃんと着替えてきなさい。
キッチリとした生活がキッチリとした受験生活につながり、
合格につながるんだ。ところで、S君はどこの学校に行きた
いんだ?」
 
私は彼の行きたい高校も知らなかったので、
ついでに聞いてみました。すると、彼がぼそりといいました。
「K学院に行きたい・・・・・」
「お前、K学院っていったら難関中の難関じゃないか。
そんな生活態度でどうする?」
 
こう諭したのですが、結局、服装はこれまで通りでした。
クラスの生徒たちは、彼の周囲を避けて座っていました。

私は、夏前の保護者面談の際、S君の状態をちゃんと
保護者に話しておかなければと思いました。
 
そして、その面談の当日、お母さんがやって来ました。
 
片側にS君の小さな弟を連れていました。
お母さんの姿はというと、髪の毛は乱れ、
着ている服もくたびれています。

「いつもお世話になっています。」

私はあいさつをするお母さんに、
ノートを持ってこないこと、同じ服を着て非常に
迷惑がかかっていることなどを説明しました。

すると、お母さんはポツリと話し出しました。

「あの子は小学校の時から、この塾に通って勉強して、
K学院に進学したいと言っていました。
それがあの子の夢なんです。
でも先生、大変申し訳ないのですが・・・・
うちにはお金がありません」

S君は、お父さんと死別して経済的に苦しい
状況にあるということでした。

それ以来ずっと、お母さんは看護師の仕事をし、
女手ひとつで子どもを育ててきたのです。
 
私は何も言えなくなりました。

「先生、本当は中学に上がったら、
すぐこちらに来させたかったんです。
でも、お金がなくて中3になったら
行かせてやると我慢させ、2年間ギリギリの
生活をして、中途だけどやっと入塾させるこ
とができました。ノートも持たせず、
迷惑をかけて申し訳ありません。
ただ、息子は先生からコピー用紙をいただいて
喜んで使っています。本当にありがとうございます。」

私は1分以上、頭を上げられませんでした。
 
そして、S君にも謝りました。

「ゴメンな。おれを許してくれ。
 先生は全然知らなかったんだ。
 だけど、お前も人が悪いぞ。
 言ってくれればよかったのに・・・
 着るのも大変なのか・・・・。」

私の塾に来ているような難関校を受ける子どもは、
裕福な家庭の子が多いのです。

新品の筆記用具や文房具をなくしても、
すぐに新しいものを買い直すので、
誰も探そうとしません。

そこで、落として一カ月以上過ぎたものを全部もらい、
S君に用立てました。

「これでがんばれ。ノートも先生が持ってくるからな」
 
S君のうれしそうな顔がそこにありました。

彼は、この塾で勉強するのが夢だったというだけあって、
とても熱心でした。
 
ほかの子は参考書を何種類も買ったりしているのに、
S君は1冊しか持っていません。

だから、その1冊を徹底的に何回もくり返して勉強します。

やがて、だんだん紙がまくれ上がっていき、
端が何倍にも厚くなっていきました。

私が1枚ずつはがれてボロボロになったその1冊を
セロテープで補強してあげると、
彼はまた喜んで使っていました。

とはいえ、K学院をねらうライバルはみな、
中1からガッチリ勉強してきた秀才ばかりです。

彼は普通の効率中学でしか勉強してないし、
それも中3の6月から塾に入っています。
 
ライバルたちからはすでにかなり水をあけられていて、
入塾時の成績はほとんどビリに近い状態でした。
 
しかし授業への意欲はすごく、絶対に授業を休まず、
たとえ熱が出て体がつらい時でも必ず出席しテストを受け、
毎日夜遅くまで残り、食い下がるように私にしつこく質問
をして帰って行くのです。

私はS君だけひいきしなきよう、ほかの生徒にも
気を使いながら彼を夕方4時に来させるようにしました。
 
授業は7時からなので、私の授業の準備時間を除いても
2時間は直接教えることができます。

彼も喜んでやって来ました。
 
さらに授業が終わったあとは居残りをさせ、
11時頃まで指導しました。
 
すると、だんだん成績が上がり、9月終わりの
テストでは、700人中なんとベストテンに入る
までになったのです。
 
最初の成績を考えると信じがたい伸びでした。

「よくやった!よくやった!」
 
まだ入試に合格したわけではないのに、私は彼の
努力に涙を流してしまいました。

ただ、K学院を確実にならうには、今までやってきた
基本レベルの問題だけではなく、最高水準の問題を勉強
する必要がありました。

いくら彼のように基本問題で100点を取っても、
K学院の入試には歯が立ちません。
 
しかし、新しい参考書を買う余裕がないのを私は
知っています。

私は今回だけは、こっそり最高水準問題集を買って
渡すことにしました。
 
ところがS君は、わずか1週間ほどで全部仕上げてきて
しまったのです。

それも3回やってきて、質問まで用意していました。

できる子というのは、質問自体がとても的確です。

「この問題はここまで考えて、こうしてやってみたけど、
どうしても答えが合いません。ここからここの間にミスが
あると思うのですが、どこが間違っていますか?」
 
S君のような質問をされると、こちらとしても熱がが
入ります。
 
考え方の筋道を解説したうえで、「こうひねるとこういう
問題に変わる。そうしたらここの部分が違ってくるので気
を付けなさい」と、応用的な解説までできるのでますます
学力がつきます。
 
S君はさらに力をつけ、絶対に合格間違いなしというレベル
に到達しました。

そして年が明け、入試当日がやってきました。
 
塾をあげての激励のために私がK学院で待っていたところ、
S君が誰よりも早くやって来ました。
 
試験開始まで1時間以上もあります。

「こんなに早く来て、アホだな」と言いながらS君を見ると、
彼の体が震えていました。それもすのはず、学生服の下は夏の
Tシャツ1枚だけだったのです。
 
私は塾で用意した使い捨てカイロを、彼のポケット全部に
押し込み、彼の右手をさすりながらこう言いました。

「今日の試験を受けるお前にとって、右手は神の手だ。
絶対に右手は大事にしろ。かじかんだら答えも書けないぞ」

K学院の試験は2日間にわたって行われます。
S君は翌日も一番に現れて、試験は無事終了しました。
 
出来はどうだったかと聞くと、「わからない」という
答えが返ってきました。

合格発表の当日。
 
私は定刻より早めにK学院に行きジリジリ待っていると、
時間ピッタリに合格者の名前を書いた紙が張り出されました。
 
K学院では番号ではなく名前を表示します。

 ―あった! S君の名前がった!

掲示板には合格者全員の名前が張り出されましたが、
その時の私には、S君の名前だけで十分でした。
 
そのうち、塾の生徒たちが集まり始め、合格を喜んだり
落ちて泣いたりして、毎年恒例のシーンがくり広げられました。

私はS君に祝福の言葉をかけるつもりで待っていました。
 
しかし、彼はなかなか来ません。

冬の夕方はすぐに日が落ちます。

真っ暗になって人がほとんどいなくなっても、
S君はきませんでした。
 
私はその日の授業をほかの先生に代わってもらい、
さらに彼を待ち続けました。
 
S君が来たのは7時過ぎでした。
 
暗い照明にポツンと一人、その後ろには、お母さんと
弟の姿が浮かんで見えました。

あとで聞いたら、お母さんの仕事が終わるのを待って
来たということでした。
 
まさか私がそんな時間まで待っているとは思わなかった
らしく、S君はビックリした様子でかけよってきました。

「遅いじゃないか」

「…先生、どうでした?」

「何を言ってる。お前がやった結果だろ。
 自分で確認してこい。掲示板はあっちだ」
 
S君はすぐに掲示板に走って行きました。
私が厳しい顔をしていたので落ちたと思ったようでした。
 
私はそのあとやって来たお母さんに
「おめでとうございます。受かってますよ」と言うと、
「先生、ありがとうございました。」と
言うなり、目から涙があふれ出しました。

私はすぐにS君を追いかけていくと、彼は掲示板の前で
うずくまって泣いていました。

「やったな! 良かったな! これでお前は4月から
K学院の生徒だな!」
 
するとS君は立ち上がり、私にこう言ったのです。

「先生・・・・ぼくはK学院には行きません。
公立のT高校でがんばります」
 
私は一瞬、頭の中が真っ白になりました。
 
確かに、T高校は公立の高校としては当時も今もトップの
座にある高校です。とはいえ、K学院を蹴ってT高校に行くとは・・・・。

しかしその時、私はすべてを悟りました。

そのあと私に重ねて礼を言いながら、S君たちは会場から
帰って行きました。後ろ姿を見送る間、私は喉の先まで
「K学院の学費、出してやるから」という言葉が出かかって
いました。
 
しかし、それを言うことはできませんでした。
 
失礼とか何とかいうのではありません。

彼ら家族のすべてが尊いと思え、そんな人たちには必要が
ないと思ったのです。
 
S君は最初からK学院に行けないことがわかっていました。
それでもすさまじいがんばりで勉強し、そして、合格して
みせたのです。
 
このうえなく尊いと思いました。
そして、彼の好きなようにさせてやったお母さんも尊いと
感じました。

私の塾講師生活の中で、さすがにあとにも先にも、
K学院を滑り止めにして公立高校に行った生徒はほかに
一人もいません。

難易度でいえば、K学院は灘高校に匹敵します。
東京なら開成高校です。
 
灘や開成を滑り止めにして、公立トップの進学校に入る
なんて考えられるでしょうか?

3年後、うれしい記事を見つけました。

東大と京大の合格者一覧を週刊誌が掲載し、その中に
S君の名前を見つけたのです。K学院の合格発表の時以来、
連絡を取り合うことはありませんでしたが、

「S君、やったな!」と思いました。
 
K学院に行かないと聞いた瞬間、私は力が抜けたと思い
出しました。
 
しかし、「何で?」と言いかけて、ハッと気づいたのです。
私はその時、S君にかけた言葉を反芻していました。

「そうか、わかった。そういう人生もあるよな。
いいかもしれないな。それにしてもお前はお母さん孝行だね。
がんばるんだぞ。つらいことがあったら、いつでも先生に
言ってこいよ」

あれ以来、今日までに互いに連絡はありません。
 
でも、それでいいと思っています。

強い人間は連絡などしないものです。

私が心配するまでもなく、強く、しっかりと彼は生きています。
 

大学合格の記事が、それを証明してくれたのです。


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