自分軸という言葉がよく取り上げられるようになったが、依存症治療をやってる人間としては、いろんな意味で勘違いされているように感じる。特に思うのは一匹狼的でいると自分軸があるように思っていることだ。残念ながらそんなロストワンやロンリーは、軸なんて本当は持っていない。

日本人の悪いところにお花畑思考と、なんでも真に受けるという思考がある。これは当然軸があるとは言い難い。しかしそれは誰とも一緒に動かないとか、誰かを応援しないというのとは違うのだ。私も人と共になにかをやることは多いし、よく応援もする。つまり自分軸の定義が違うと思っている。

私が思うに自分軸がない人は、承認欲求に基づいて動いているだけで、正しい論争から思考が始まり、そうでいながら正体が見えない人だ。体裁、忖度、プライド、匿名、叩かれる恐れから行動する。そもそも行動しない人も多いし、自分軸がない人はSNSに生き場所を求めるしかなくなってしまっている。私もそう思われるのが嫌で、前面に出ないとなんで生きてるかもわからないと考えて出馬したところはある。

軸があると目覚めるは違う。はっきり言えば古今東西過去も未来も、目覚めた人など存在しない。目覚めたの定義が違いすぎるからだ。しかし軸がある人にならなれる。高い目的をもち自分を隠さず、長いものにまかれることをせず、少数派でもあきらめず行動し続ける。そういう人が日本人の中に少しでも増えれば、この日本にもチャンスがあるのではないかと思う、

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