中国の歴史書「孟子」に出てくる【汝(なんじ)の行いは、汝(なんじ)にかえる】というお話です。
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【なんじの行いは、なんじにかえる】
鄒(すう)と魯(ろ)が戦ったときのこと、鄒の穆公が孟子にたずねた。
「こんどの戦でわが軍の部将が三十三人も戦死した。だが、人民はだれひとり部将のために命を投げ出さなかった。いっそ殺してやりたいくらいだが、全部を殺すわけにはゆかない。
といって捨てておけば、これからも平気で上官を見殺しにするだろう。一体、どうしたものであろう」
「飢饉の年にあなたの国では、多くの年寄りや子供がのたれ死にし、何千とも知れない若者が逃げ出しました。しかも、王室の穀倉は五穀が満ち、金倉には財宝があふれていました。
部将たちはそれを見て見ぬふりをしていました。自分の職務を怠けて、人民を見殺しにしたのです。
曹子(孔子の弟子)が言っています。
『心せよ、心せよ。なんじの行いは、なんじにかえる』
いま人民はようやく怨みを晴らしたのです。その人民をとがめるのは筋違いというものです。あなたが仁政を行なえば、当然、人民は上官のために一命を投げ出すでしょう」
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中国の思想Ⅲ 「孟子」
今里禎 訳
徳間書店より
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自分のしたことは、自分に返ってくる。
たくさん食べたら太るし、運動したら筋肉が付く。
人をよく褒める人は、人から良く褒められるだろうし、悪口ばかり言う人は、きっと悪口を言われています。
人はこれを、宇宙の法則といったり、原因と結果の法則といったりします。
これは、人を殴ったら殴られるといった単純な話ではありません。
殴っても、殴られない人だっています。
しかし、殴られるのと同じ位の「何か」が待っていることは間違い有りません。
善い行いもそうですね♪
人を助けたとして、その人から直接返ってくるか?っていうと、そういう訳でもないのです。
でも不思議と、同じ位助けられる事があるのです。
だから、だれかに良いことをしたとしても、決してその人に見返りを求めてはいけません。
「見返り来い!見返り来い!」と思っているよりも、忘れる位の「無」といいますか「真空」の方が、入ってきやすいようです。
「心せよ、心せよ。汝(なんじ)の行いは、汝(なんじ)にかえる」
心したいと思います。
※魂が震える話より
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