【国譲りの真相】

インナーチャイルドを解放するワークショップをやっていて、思わぬ歴史の謎解きをするはめになることがある。それは、私たちが抱えている心理的な問題が、けっして個人的な問題ではなく、何百年何千年と引き継がれてきた、集合意識的な闇から生じているということを示している。そしてまた、こうしたことが出てくるのは、そうした闇が解けるときが来ているということを示してもいると思う。

その日、被験者を務めてくれたのは、奇妙な虚言癖を持っていたことがある人だった。もともとは登校拒否で学校に行っていないのを隠そうとして、普通に学校に行っていたような話を作って語っていたのだけれど、それだけじゃなくて、何でもない日常的なことまで、人に語っていたことの9割がすべて作り話だったというのだ。何のためにそんな嘘をついていたのか、自分でもわからなくて、自分が言っていることが本当なのか嘘なのかも、判別がつかなくなっていたとも言っていた。

そんなことまですべて作り話をしなければならなかったなんて、そのままの自分では人に愛されないという感覚が、よほど強かったのに違いない。そのままの自分を見せたら嫌われるような気がして、反射的にどんなことでも世間的に聞こえがよさそうなことを語っていたのだと思う。

現代社会は、どういう生活スタイルがいいというようなことまで、すべてすり込まれているようなところがある。おそらく彼女は、そうした生活をしているような話をいつも作っていたのだと思う。多くの人は、それがいいと思って、実際にそうした生活をしている。実際にやっているという意味では嘘ではないけれど、それはある意味、自分に対して嘘をついているとも言える。彼女は、世間的に学校へ行くことを拒否して、ある意味、自分に正直に生きていたわけだけれど、そうした生き方を貫くために、世間的な生活をしているかのように嘘をついて、生き延びていくことが必要だったわけだ。

それで、何を言っても何をしても愛されるパラレル世界を作って、その中に彼女を入れるワークをやって、その日のワークショップは終わったのだけれど、そのあとがまだあった。

ワークショップが終わってから、被験者の彼女の中から、激しい怒りや怨みの念が噴き出してくるのを、私は遠隔で感じ取った。それは、彼女個人のものというよりも、祖先か土地についている怨念のようなものが、彼女の身を借りて何かを表現しているように思えた。

彼女は出雲の人なのだけれど、出雲といったら、国譲りがあった土地だ。国譲りといったら聞こえはいいけれど、あれは実際には、侵略されて、独立を譲り渡したということだった。それから出雲は、黄泉の国だと言われるようになり、鬼やヤマタノオロチみたいな、恐ろしい邪悪なものが支配する土地だということにされたのだ。そんな屈辱の国譲りを受け入れることになったのには、一体どれほどの残虐な犠牲があったことだろう。

その怒りと怨みの念とが、一気に噴き出しているようで、それはまさに恐ろしい化け物が地獄から出てくるかのようだった。こんな怨念を抱えていたら、自分で自分が恐くなるのも無理はないし、自分でないものを自分のように語ってしまうのも、無理はないと思う。

こういう風に激しい怨念が噴き出してくるときには、けっして祓おうとしたり上げようとしたりしてはいけない。そんな目に遭わされたら、そんな思いを持つのも当たり前のことなのだから、ただ、そんなひどい目に遭ってかわいそうに、と共感の念を送ってあげればいい。ワークショップで、「何をしても何を言っても愛される」というパラレル世界が作ってあったので、そこに入れておいたら、しばらくして、激しい怨念はすっかり収まって、ヤマタノオロチみたいに暴れていたのが、能楽の「高砂」の爺婆みたいな穏やかな姿になった。

その好々爺好々婆の姿で、どうもお世話になりました、とにこやかに言いながら、その念は彼女から出ていってくれたようなのだけれど、去っていくときに、出雲の航路を開いて欲しいと言っていたような気がした。それで地図を見てみると、松江の港のあたりに美保神社というのがあって、これが恵比寿の総本宮だという。恵比寿といったら蛭子で、海上安全を祈願する神さまだ。それならば、沖の方に元宮みたいなものがあるに違いないと思って見てみると、隠岐島というのがあった。そこには、玉若酢命神社とか水若酢神社とかいう聞きなれない名前の神社があり、これが古代からの神社だというようなことが書いてある。これがもともとは、海路を守っていた女神官たちの島だったのに違いない。

ところで、その島のところにローソク島というのがあり、見てみたら、何と見事な陽石だった。磐座のある島には、よく海辺に巨大な陽石があるのだけれど、その多くはある時代に建材に持って行かれたりして、破壊されている。このような陽石は、おそらくはかつては海路を守るレイラインを繋ぐアンテナの役を果たしていたのだと思う。このローソク島に、封じ込めがかかっているのかもしれない。あの爺婆が言っていたのは、これを解いて欲しいということだったのかもしれない。

それでローソク島に遠隔アクセスしてみると、その島を守っていた神女たちが、磐のところで残虐な目に遭わされているようなイメージが見えてきた。国譲りのときに、武甕槌(たけみかづち)が海の上に剣を逆さに立てて、剣先にあぐらをかいてみせたというあの話は、あるいはこのローソク島のことだったのかもしれない。武甕槌は、どうもレイラインの封じ込めと関連しているようで、武甕槌が剣を持って現れると、それ以外には何もしていないのに、縄文の「荒ぶる神」たちはあっさりと倒れてしまうことになっている。これは、縄文人たちの力を決定的に奪ってしまうような封印をかけたということのように思える。

武甕槌が、剣先の上にあぐらをかいて座ったら、それを見た大国主は、国譲りをするしかないと思ったのだ。だから、何かよほどのことだったのに違いない。出雲の海路を守っていたローソク島が乗っ取られて、神女たちが虐殺され、それが遠くからでも見えるように、磐の上につけられたか何かしたのだろうか? ともかく、そのように考えると、あの謎めいた国譲りの神話は、謎が解けるように思える。

記紀では、武甕槌が現れたのは、出雲大社の近くの稲佐の浜だったということになっている。しかし、出雲に譲るような国があったのだとしたら、地理的条件から言って、松江の方だと思う。松江には、入江になった自然の港があるし、平野があって、湖もあり、瑪瑙が出る山もある。それに対して、大社のあるあたりは、山がちで漁村しかないようなところだ。

出雲大社は、もともと大国主が幽閉された塔だったのだから、首都ではなく西の外れに追いやったと考えた方がぴったりくる。松江の方に栄えていた文明が、もともと縄文民族のものだったことを隠して、西の外れの田舎だけが縄文民族のものだったかのように思わせるために、稲佐の浜で国譲りがあったという話に書き換えたのかもしれない。

ところで、ワークショップのときに七人の小人のイメージが出てきていて、そのときは何のことだかわからなかったのだけれど、松江の港のある美保関に、七類港という港があり、この港から隠岐への船が出るのだそうだ。七類という地名がどこから来たのかわからないけれど、七類といったら七福神を連想する。七福神は、いろんなところから来たいろんな神々だけれど、一緒になって宝船に乗ってやってくる。かつて海路が封じ込められていなかった頃には、松江の港には、こんな風にありとある民族の人たちがやってきて、栄えていたのに違いない。ここは、日本海を通して朝鮮半島ともロシアとも繋がっている土地で、東シナ海から中国、台湾、フィリピンの方まで行くこともできたはずだ。

海の繋がりが守られていた古代の時代には、人々は簡単な舟で遠くまで海を渡っていたのだ。海の繋がりを守って、海路を開いていた力は、神女たちの第2チャクラの力だ。それは、どこへ行っても守られ、どこへ行っても愛されるという信頼の力なのだ。戦いと支配の時代になると、残虐なことをすることによって恐怖の感情がしみつけられ、それによって「どこへ行っても愛される」という信頼感が消え去ってしまう。海の向こうから来る人たちは、恐ろしい人たちかもしれないとなったら、意識の繋がりが断たれてしまうのだ。しかし、その封じ込めが行われる前には、舟で渡っていく人たちは、宝船の七福神のように迎えられたのだ。えびす顔で現れて、福をもたらす神々として。だから、どこへ行っても歓待され、どこの港も彼らがもたらす福で栄えていたのだろう。

それで、ローソク島が封じ込められる前の時代にアクセスして、宝船の七福神のイメージをかぶせてみることにした。犠牲になった神女たちが封じ込められていたようなのだけれど、七福神のイメージを送ったら、外に出てきて、まるでヤマタノオロチみたいに八方へ飛んでいった。どうもこれが、かつて開いていた海路だったらしい。ヤマタノオロチ退治とは、あるいはこの海路を断ったことを意味してもいたのかもしれない。

すると、ローソク島の画像が、どうも何だか明るくなったようなのだ。さっきは何だかゾッとするような嫌な波動を出していたのだけれど、それが消えたようだ。日本海も何だか明るくなって、朝鮮半島や大陸まで、すぐに行けそうな感じになった。北朝鮮の海岸近くには、七宝山という山があるけれど、おそらく七類港は、七宝山ともレイラインで繋がっていたのだろう。朝鮮半島も中国もロシアも、皆、一つの同じ文化圏で、七福神のようにたがいに福をもたらし合っていたのだと思う。

今、支配と戦いの時代が終わろうとしていて、多極的な調和の世界が、もうでき始めている。それは、ロシアの国際イベントなどでも、もう見ることができる。出雲の海の封印は、国譲りの根源的な封印だったのだから、これが解けたら、日本の海路はもう解けたということになるのかもしれない。このツォルキンでは、多極化世界を意識で作ることで、世界を平和にしようということから始めていたのだけれど、ツォルキンの終わりになって、とにかく意識の領域では、多極化世界は完成したんじゃないかと思う。

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画像は、
松江沖の隠岐島
ローソク島
隠岐島と七宝山(赤印が七宝山)
七福神
能楽「高砂」


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