【わかってもらえない感覚は、どこから来るのか?】

人にわかってもらえないという感覚を、子供の頃から持っている人は少なくない。それは、親や兄弟と理解し合えるような関係を持っていなかったとか、まわりの人たちと育った環境や考え方が違っていたとか、そういうことから来ていることが多いけれど、そもそも違いを認めない社会のあり方から来ているということがある。

支配のある社会では、多かれ少なかれ、皆が同じように考え、同じように行動することが要求される。そして、そこから外れた考え方をする人は、どこかおかしいとみなされるのだ。そのため、多くの人は、自分の魂がどう感じるのかということよりも、世間はどう考えるのかを考えて、自分の考えを合わせようとする。

公開ワークショップの最終回で、まさにこの「人にわかってもらえない感覚」がテーマになったのは、私には宇宙の導きとしか思えなかった。それというのも、私がインナーチャイルドを解放するワークショップを始めたのは、まさにそのためだったからだ。ここ数年、どんなに筋が通っていなくても、皆がそう言っているからというので、それ以上考えようとしないで、事実として信じて従ってしまう人たちがあまりに多くなっていた。おかしなことがまかり通る一方で、筋の通ったことが、おかしいことのように言われるような世の中になっていた。これが情報操作という支配の手法だったのだけれど、これを乗り越えていくには、たった一人でも、自分の魂の声に従う力を解放するしかないと思った。それがまさに、私が目指したインナーチャイルドの解放だった。

最終回の被験者を務めてくれた人は、お祖母さんが精神病者として扱われて、嫌がるのを無理やり入院させられたりするのを見て育った。そのため、子供の頃から「精神病をなくしたい」と思っていたのだそうだ。しかし、お祖母さんは精神病ではなく、考え方が先進的で世間一般とは違っていただけだったと思うと彼女は言っていた。向精神薬を飲まされていたために、おかしくなっていただけなのだと。だから、精神病をなくしたいというのは、人が精神病にかからないようにしたいという意味ではなくて、精神病のようなものを設定する世の中そのものを引っくり返したい、ということだった。

精神病として扱われるとは、「わかってもらえない」ことの究極だと言える。何を言っても、「それはおかしい」として、理解しようともされないし、聞いてももらえないという絶望的な孤立の状況だ。彼女の人生には、このように絶望的にわかってもらえない状況が絶えずつきまとっていた。小学校のときには、先生に性的虐待を受けていて、訴えても、学校の先生がそんなことをするはずがない、と言われて、誰も聞いてくれなかった。そのことが深いトラウマになって不登校になったら、今度は父親が新興宗教に入信した。宗教では、教義に合わないことは存在していないのと同様なので、相互理解がまったく不可能な状況がまた現れた。

現実は、私たちの意識が作り出している。だから、深いトラウマがあるほど、同じような状況が何度も現れたりする。それで、その元になっている体験として、子供の頃の状況に皆でアクセスして、それぞれにリーディングしてみることにした。

すると、多くの人が、彼女は世界を変えるために、敢えてそのような体験をしていたというイメージを受け取ったのだ。性的に虐待されているのに、犠牲者のような弱々しさがなかった。加害者である先生の方が、弱々しく見えた。実はその先生の方が、「誰にもわかってもらえない」という感覚を持っていて、そのために彼女に「誰にもわかってもらえない」という感覚を与えるようなことをしていたように見えた。

精神病扱いされたお祖母さんは、福山藩の家老の孫で、満州へ行って財を成してきたようなやり手の人だったということだった。そのお祖母さんにアクセスしてみると、実に深く大きな世の中の問題が背景にあるのが見えてきた。家老のお祖父さんなのか、その子供なのかわからないけれど、家族は幕末から明治への移行期に、まったく筋の通らないようなことがまかり通るのを、さんざん見てきたのだ。そしてお祖母さんも、満州でおかしなことをたくさん見てきた。そして、実情を知っているお祖母さんが言うことは、人々には「頭がおかしい」としか思えなかったようなのだ。

幕末から明治への移行は、実は国譲りのようなものだった。外国の軍艦が来て、政権が交替されたのだ。独立した政権から、属国としての傀儡政権へ。そこで、家老の孫だったお祖母さんの家系は、武家から華族へ、そして平民へと次々身分が変わっていった。その変遷の間に、筋の通らないことがまかり通っていき、本当のことを言ってはいけなくなったようなことが、一体どれだけあったことだろう。

つまるところ、このようにおかしなことが正しいこととされ、正しいことがおかしいこととされるようなことは、独裁的な支配、あるいは植民地主義的な支配と関わっている。明らかに不利なことを受け入れさせられるのが支配というものなのだから。そしてそこでは、正しいことを言うことは、禁じられていて、それは「頭がおかしい」ことになる。

それならば、こうした支配がなかった時代まで戻っていって、そのままの人々がそのままに受け入れられ、認められる世界にアクセスしてみたらどうだろうということになった。そして、その世界に彼女と彼女のまわりの人たちを丸ごと入れてしまったらいいんじゃないかと。それが江戸時代なのか縄文時代なのかわからないけれど、そういう時代は確かにあったはずだ。「国譲り」がある前の縄文時代には、人々は簡単な舟に乗って、世界中どこへでも出かけていて、どこへ行っても受け入れられてきたのだから。

この頃、宗像の沖ノ島や瀬戸内海の大三島など、海の封印を解くことが続いていた。海に封印がかけられる以前には、人々はどこへでも舟で出かけることができたようだけれど、それは「どこへ行っても受け入れられる。どこへ行っても愛される」という信頼のエネルギーによるものだったというイメージが、つねに出てきていた。海の繋がりの力は、第2チャクラの力なのだ。ところが、民族間の戦争や支配が始まると、この信頼は封じ込められてしまう。そして、海の向こうから来る人々は、恐ろしい人たちかもしれない、という恐怖感がつきまとうようになるのだ。まさにその恐怖感が、海路を閉じてしまったようだ。

このことは別な投稿にかくつもりだけれど、ちょうど前日のワークショップからの展開で、出雲の国譲りの原因となった根源的な封印を解くことになった。大国主が国譲りをするしかないところまで追い詰められる原因となった封印だ。それがまさに、日本海の海路を閉じてしまうことになったようなのだけれど、海路が閉じる前には、海を渡る人々は、まるで宝船に乗った七福神のようだったというイメージが出てきていた。

七福神とは、海を渡ってくる種々様々な民族のことらしい。それが皆、それぞれに異なる福をもたらしにやってくるというイメージなのだ。まさにこの信頼感が、海路を開けていた。どこへ行っても歓迎され、どこへ行っても愛されるのは、海を渡ってくる異なる人々は、福をもたらしに来る、という認識があったからなのだ。だから、海を渡っていく人たちは、どこへ行っても歓待されるのを知っていて、その信頼によって、安全に海を渡ることができたようだ。

そんな風に、異なる民族文化の人たちも、受け入れ合い、認め合っていた時代の世界にアクセスして、その記憶を解放してみようということになった。縄文時代にアクセスした人、パラレルワールドのような世界に行った人、それぞれだったのだけれど、いろいろな顔、いろいろな衣装の人たちが、たがいに仲良く笑い合っているようなイメージ、女性たちが大きくなって生き生きとしているイメージなどが現れた。精神病者として扱われていたお祖母さんは、ずんと大きくなって、生き生きと創造的に活動しているようだった。

それから、世界中をこのイメージの中に入れてみたのだけれど、そうすると、異なる民族文化の人々がたがいに受け入れ合えなくなったのは、植民地主義的な民族差別のせいだったということが、透けるように見えてきた。植民地主義的な支配によって、支配者の論理を一方的に押しつけられ、それに合わないものは「おかしい」ということにされたのだ。まさにそれが支配というものだったということに気がついた。まず初めに、意識が支配されるのだ。何が正しく何が間違っているのかということを、上から一方的に押しつけられること。それこそが支配の根底にあるものだった。

今、世界は植民地主義的な一極支配から多極的な調和へと移行しようとしている。実際いま、世界の2/3はすでに多極的な構造へと変わっていっている。まだ植民地主義的な世界に生きているのは、いわゆる西側諸国と言われる50ヶ国ほどだけだ。そしてそこでは、何が正しいかが上から押しつけられていて、違う考えは「頭がおかしい」とされているのだ。

多極的なネットワークが機能し始めているところでは、多種多様な民族の人たちが、大した争いもなく、ともに協力関係を結んでいっている。民族や文化、宗教の違いなどは、実は争いの元ではなかったのだ。たがいに認め合え、受け入れられるという意識で生きている人たちは、異なる人々を差別して、どっちが正しいとかいう風には考えないのだ。それぞれ自分が納得するように生きているだけなのだから。誰も何かを押しつけようとしないから、争いにもならないようだ。

この瞑想をしている間に、参加者の顔がほぐれて、うれしそうになっていくのがわかった。被験者の彼女に出てきてもらうと、まるで別人になったみたいに、緩んで陽気な顔になっていた。えびす顔とは、こういう顔のことを言うのだろう。福をもらたす七福神の顔だ。その変化は、思わず手を合わせたくなるようなものがあった。彼女は、自分の意識を変えることで、世界を変えたいと言っていた。まさにそれが起きたのだということを、その顔は示しているように思えた。

「わかってもらえない」が「どこへ行ってもわかってもらえる」に変わったのだ。昔の田舎のおばあちゃんなどは、方言のまんまで外国人と話していても、何故だか通じている。言葉や文化の違いは、本当は問題ではないのだ。心が通じるという信頼感があること、心が開いていること、それだけだ。心が開いていれば、どんな違いも乗り越えて、私たちは再び理解し合えるようになるだろう。

ツォルキンの最後になって、ここまで世界が解放されたのだ。


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