以下、まとめました。
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【質問】
 
自分のものになるものは何一つない、と聞きましたが、どういうことでしょうか。  
 
【回答】
 
私達は、一度、自分のものにしたものを整理して、自分のものでなくなるのが怖いのです。
 
何故なら、それによって、すべては借り物の人生だと分かってしまうからです。
 
人生とは、所詮、借り物です。歌にもありますように、仮の世に、借り物かりて、仮の夢、なのです。
 
何かを自分のものにしたとしても、永遠に自分のものになるものは、何一つありません。
 
しかし、それが分かりたくなくて、自分の我をつけたものだけは、永遠に変わらないと、私達は思っている、思いたいのです。
 
だけど、その思い込みを、木っ端微塵に打ち砕くのが、無常という厳粛な真実です。
 
諸行無常は、自分の世界の真実を見せます。
 
それは、この世の中、何か一つであっても、自分のものになるものはない、という真実です。
 
私達は、この真実を否定して、これだけは永遠に変わらないと思って、我をつけて生きています。
 
そこから、執着が生まれ、執着しているものを失う、という苦しみが生まれているのです。
 
苦しみは、無常を否定しているところから、生まれる、この厳粛な真実を私達は知らなければなりません。
 
私達は、無常を認めていませんから、無常の世の中で、自分の信じているものだけは、裏切らないと思って、すがっています。
 
しかし、無常は必ずやって来ます。
 
私達は無常を否定していますので、自分にも、世界にも、変わらないものだと思って我をつけて、安心して生きていますが、自分も、世界も、刻一刻と変わっているのです。
 
だから、どんなに私達が無常を否定しても、必ずやってくると覚悟することです。
 
その時、変化してしまったものを見て、まだ変わってしまった、ということが認められず、変わらなかった昔に執着しているから、私達は苦しむ。
 
仏教とは、執着から離れてゆく教えです。
 
それは、この世の中で、何か一つでも、自分のものになるものはない、という真理を受け入れてゆくことで、執着から、離れることが出来ます。
 
この世の真実を知ることは、苦しいことですが、それを受け入れなければ、私達は、いつまでも変わってしまったものを、変わってしまったと受け入れることが出来ず、苦しまなければなりません。
 
執着は、苦しみしか生み出さない、とお釈迦様は、教えられます。

私は、物事は常に変化して消え去るものである、と観察します。
私は、過ぎ去った出来事に囚われないように精進します。
私は、将来のことに執着して悩まない、不安にならない人間になります。私は、今ここで、するべきことに集中します。

肝に銘じて、進ませていただきましょう。


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