この詩は、LLM最高峰3システムに、
夏の一行詩を書かせ、鍛え上げたところ、
3者ともが行き着いた、
「蝉時雨」
から始まっている。

儚く、短い命である、蝉が、
そのことを知ってか知らずしてか、
毎年、夏の風物詩を繰り返す。

あの日
短い命を知るはずもなく
少年少女たちは
誰かが始めた争いで
大きな未来とともに散って逝った

「誰かが始めた争いで」

このフレーズを枕詞とし、
何が沖縄で現実に起こったのかを、
畳み掛ける。

この少年の朗読は、力強く、
感情に流されることなく、
聞くものの心を、途方もなく
揺さぶって行った。

そして戦争そのものではなく、
その副作用、恒久的な後遺症について、
事実を連ねる。

戦争を知らない子供たちならではの、
戦争の悲惨さへの、現実の共感が、
そこには込められ、戦争の脅威、
被害が、「世代では終わらない」ことを、
再認識させる。

心に落ちた
あの戦争の副作用は
人々の口を固く閉ざした
まるで
戦争が悪いことだと
言ってはいけないのだと
口止めするように

思い出したくもないほどの
あの惨劇がそうさせた

これは、今の彼にとってのリアル、
なのだろう。

平和の尊さを何に見るのか?
何を知っていると言うのか?

僕らは雨のように打ちつける
爆弾の怖さも
戦争の「せ」の字も知らない

けれど、常緑の平和を知っている
あの日も
海は青く
同じように太陽が照りつけていた

そういう普遍の中にただ
平和が欠けることの怖さを
僕たちは知っている

平和の尊さを何に見るのか?
何を知っていると言うのか?

あの日も
海は青く
同じように太陽が照りつけていた
そういう普遍の中にただ
平和が欠けることの怖さを
僕たちは知っている

あれから40年、が2回りだ。

もう戦争を知らない子供たちしか生きていない。
彼は、祖母が戦後産まれであることにふれ、
それを想起させている。

79年祈り続けた。
世代を超えて、祈り続けた。

それも、もう3世代目だ。

それでも世界はまだ繰り返してる
七十九年の祈りでさえも
まだ足りないというのなら
それでも変わらないというのなら

あなたは、何をやってきたのか、
「これから」どうするのか、

彼の問いかけは、

彼の、リアル、である。

水を打ったような静寂の中、
沖縄の一中学生の「我が事」な、
脚色も、誇張もない澱みない言葉の列の
澄みきった声が、その場を圧倒した。
(彼は原稿など無論、一切見ていない)

この直後、岸田文雄が登壇した。

その問いかけに何一つ答えることもなく、
ただ、準備された原稿を、
何事もなかったかのように、棒読みした。

もう、誰も、「帰れ」とすら言わなかった。

*「これから」全文引用(毎日新聞)

平和の詩「これから」
沖縄県立宮古高校3年 仲間友佑

短い命を知ってか知らずか
蟬(せみ)が懸命に鳴いている

冬を知らない叫びの中で
僕はまた天を仰いだ

あの日から七十九年の月日が
流れたという

今年十八になった僕の
祖父母も戦後生まれだ

それだけの時が
流れたというのに・・・

あの日
短い命を知るはずもなく
少年少女たちは
誰かが始めた争いで
大きな未来とともに散って逝った

大切な人は突然
誰かが始めた争いで
夏の初めにいなくなった

泣く我が子を殺すしかなかった
一家で死ぬしかなかった

誰かが始めた争いで
常緑の島は色を失(な)くした

誰のための誰の戦争なのだろう
会いたい、帰りたい
話したい、笑いたい
そういくら繰り返そうと

誰かが始めた争いが
そのすべてを奪い去る

心に落ちた
暗い暗い闇はあの戦争の副作用だ

微(かす)かな光さえも届かぬような
絶望すらもないような
怒りも嘆きも失くしてしまいそうな
深い深い奥底で

懸命に生きてくれた人々が
今日を創った
今日を繋(つな)ぎ留めた

両親の命も
僕の命も
友の命も
大切な君の命も
すべて

心に落ちた
あの戦争の副作用は
人々の口を固く閉ざした
まるで
戦争が悪いことだと
言ってはいけないのだと
口止めするように

思い出したくもないほどの
あの惨劇がそうさせた

僕は再び天を仰いだ
抜けるような青空を
飛行機が横切る
僕にとってあれは
恐れおののくものではない

僕らは雨のように打ちつける
爆弾の怖さも
戦争の「せ」の字も知らない
けれど、常緑の平和を知っている

あの日も
海は青く
同じように太陽が照りつけていた
そういう普遍の中にただ
平和が欠けることの怖さを
僕たちは知っている

人は過ちを繰り返すから
時は無情にも流れていくから
今日まで人々は
恒久の平和を祈り続けた

小さな島で起きた
あまりに大きすぎる悲しみを
手を繋ぐように
受け継いできた

それでも世界はまだ繰り返してる
七十九年の祈りでさえも
まだ足りないというのなら
それでも変わらないというのなら

もっともっとこれからも
僕らが祈りを繋ぎ続けよう
限りない平和のために
僕ら自身のために
紡ぐ平和が
いつか世界のためになる

そう信じて
今年もこの六月二十三日を
平和のために生きている
その素晴らしさを嚙(か)みしめながら

《ビデオ》琉球新報。
沖縄全戦没者追悼式 平和の詩。


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