【エメラルドの扉が開く】

エメラルド・タブレットというのは、緑色の石盤に文字が刻んであるもので、ギザのピラミッドの下で発見されたという話もあるけれど、元の石碑が残っているわけではなく、どこから来たものなのかがはっきりとしないらしい。エジプトの神トートから来た言葉だと言われていて、それがのちにヘルメスになったということだった。

インナーチャイルドのワークショップをやっていたときに、たまたまエメラルド・タブレットの封印を解いてみることになったのだけれど、そのときは、ほとんどの人がエメラルド・タブレットが何なのかもわからないまま、ネットから取ってきた画像から、そのエネルギーにアクセスしたのだ。あとになって、その画像がオリジナルの石盤ではなく、あとの時代に造られたレプリカだったことがわかったのだけれど、それにしても、確かにエメラルド・タブレットのエネルギーらしい、実にパワフルな多次元的なエネルギーを皆が感じた。

それで、これは大勢でアクセスしてみたら、もっとパワフルに開くのじゃないかということになって、公開のオンライン・セッションを開催したのだ。参加者はそれぞれにいろいろなところからアクセスしているけれど、意識の領域は時空を超えているので、それでもパワフルな意識エネルギーのフィールドができるのがわかる。しかも、加わっている人数が多いほど、エネルギーが熱くなる。このセッションは、予想外に反響が大きくて、すぐに参加者がズームの上限の100人に達してしまい、入れない人が何人もいたくらいだった。

エメラルドの扉が開くとき、ハートチャクラが活性化して世界が覚醒するというようなことが、カバラで言われているのだと、ある人が教えてくれたのだけれど、あの画像から受け取ったエネルギーは、まさにそうしたものだった。このセッションにそれほどの人が参加したのも、その扉が開くときが来ていたからなのかもしれない。

しかし、エメラルド・タブレットには、何かしらやはり封印がかかっているらしい。画像からそのままエネルギーを受け取ると、喉のあたりが苦しくなってきて、頭が痛くなったりする。喉のチャクラのあたりで封じ込めがかかるようだ。これについては、古代エジプトの時代に、石盤を作った神官が封じ込めをかけたというようなイメージが出てきていた。それで、古代エジプトの神官なのかどうかはわからないけれど、とにかく封印をかけた人に、現代に来てもらって、もう封印を解いても大丈夫だから、と言って、そのエネルギーを解き放ってもらうことにした。そうすると、喉のあたりで封じ込めがかからずに、すばらしくパワフルなエネルギーが感じ取れた。

ハートがドキドキと活性化して、熱いエネルギーを感じる。それと同時に、頭の上の8番目のチャクラがハートと連動して動き出すかのようだ。おそらくは、野生動物や小さな子供は、このように考え、判断して生きているのだろう。頭で考えるのではなく、宇宙意識のような直感的な感性と、ワクワクするハートのエネルギーとでだ。

こうした意識のあり方は、ローマ帝国など一極支配の支配者たちが、世界中で封じ込めてきたものだ。人間を支配するには、それぞれのハイヤーセルフとか宇宙意識とか直感とかいったものに従って生きるあり方をやめさせて、支配者が言うままに動くようにしなければならない。そのためにローマ帝国は、ローマ神話の神々を崇めさせ、もともとあった信仰を禁じた。これがのちにローマ・カトリック教会になり、ローマ帝国は、支配のツールとして改ざんされたキリスト教を作り出して、それによって人々を支配したのだ。つまり、自分で考えたり直感的に感じたりして判断するのではなく、外の神、外から与えられた基準に従って動くようにだ。

エメラルド・タブレットには、「下にあるものは上にあるもののように。上にあるものは下にあるもののように」という言葉が刻んであるということなのだけれど、これはいろいろな意味に解釈することができる。ところで、エメラルド・タブレットの画像からエネルギーにアクセスしてみると、確かに、まさにそのような上も下もないような、すべてが対等な世界が見えてくる。

すべてが平等で豊かだという感覚を感じた人、海の中にいるようなイメージを見た人がいた。すべてが平等だといっても、同じ高さに皆が並んでいるのではないのだ。海の中や宇宙空間のように、上も下もないような空間を、それぞれの人が占めているだけだ。だから、どちらが上もないし、どちらがいいとか悪いとかもない。だから、比べてどっちがどうということもないし、皆が同じ方向を目指さなければならないというのもない。

これは、直線的な思考から空間的な思考に変わったときの感覚だ。私たちは、生まれたときは空間的な思考でものを考えているけれど、幼稚園に行く頃になると、直線的に思考することを強制される。何が正しいのか、何が優れているのか、どういうのがあるべき姿なのかということを教えられて、皆が皆そのように努力することを強いられる。それまでは、それぞれに気の向くままにやっていたのが、皆が同じラインに並ばされて、同じ方向へ競争で走らされるのだ。これがつまり、直線的な思考だ。

支配とは、このように人々を同じ基準で測ることにより、同じ方向へ競わせることだと言ってもいい。そこでは、人と比べてどちらが上なのかということが、何よりも重要なことで、皆が「せめて人並みであらなければ」と思ったり、「人より上であらなければ」と思ったりする。その中にいると、それが人生の目的でさえあるように思えている。しかし、意識の次元が上がって、直線的に把握していたものが、空間的に見えてくるようになると、どちらが上もどちらが正しいもないのがわかってしまう。皆それぞれに場所があり、それが空間的にあちらこちらに位置を占めているのにすぎないのだ。それぞれに人生の目的も違えば、目指すところも違う。そもそも人と比べることにまったく意味がないのがわかってしまう。

次元というのは、現実を測る軸の数だ。軸が一本ならば、皆が直線上を進んでいるように見える。これが2本になると、平面上のあちこちにいるように見える。軸が3本になると、空間的に把握でき、海の中を潜ったり、空を飛んだりしているときみたいに、いろいろな高さのところにいるのがわかる。

4次元とは、その3次元の空間が一本の軸上を動くように見えている意識で、これがつまり直線的な時間感覚だ。これだと、皆が一直線上に並んでいて、同じ方向へ進んでいるように見える。ところが、5次元になるとこの軸がもう一本増えて、平面的になり、6次元になると空間的になる。こうなると、もうそれぞれの人が同じ方向へ進んでいるようには見えなくなる。皆それぞれ空間上のいろいろな地点にいて、それぞれにいろいろな方向へ向かっているだけだ。空間的にそれが見えると、たがいに衝突もしないことがわかる。だから、それぞれのあり方にまかせていればいいのだと自然に思える。

自然の美しい緑のイメージが出てきた人も多かった。それは、微生物にいたるまでのありとある生物が共生している美しさなのだ。あらゆる生物が対等に存在していて、バランスを取り合っている世界。自然の状態になっているところを見れば、わずかな空間の中にも、ありとあるレベルの生き物が共存していて、見事な調和を作り出していることがわかる。

6次元の意識になると、目に見えるものだけに惑わされることがなくなって、こうした多層的な世界が見えてくるのだ。微生物だけではなく、意識エネルギーや波動のようなものがすべて微細に調和を作り出しつつ共生している世界が見えてくる。緑のイメージの中に、「もののけ姫」に出てくるような木の精霊、白く光る丸いものが無数にあるのを見た人もいた。

この領域が見えてくると、どこに何があるとかないとかいうのも、実は意識の問題にすぎないことが見えてくる。それというのも、その領域では、どこにでもすべてがあることがわかってしまうからなのだ。どこにでも、ありとあるものが溢れるほどにある。ないと思えているのは、どういうものがいいのかという直線的な思考に惑わされているからにすぎない。

エメラルド・タブレットの封印を解いてエネルギーを感じ取ってもらうと、皆、何だか緩み切った顔になっている。ああそうなのか、と何かを悟って、驚きながらも緩んでいる顔だ。何もがんばる必要などなかった、ありのままでよかったのだということが、理屈ではなくわかってしまうように。

こんなに緩んでいたら、人間進化しないのではないかとか、無防備すぎてやられてしまうのではないかとか、あるいは退屈なのではないかと思えたくらいに、そのときは緩んでいた。どっちが上だとか、どっちが偉いとか比べて競うゲームも、それなりに面白かったなとか、昔の思い出みたいに思い出したりしていた。世界が空間的に見えてきてしまうと、上を目指して努力するというのが、ゲームを面白くするために作るルールのようなものにしか思えなくなっている。ゲームのルールは、ゲームを楽しむために作るもので、執着するべきものではない。

それで最後に、エメラルド・タブレットのエネルギーを世界に解放して、地球全体を緑のエネルギーに浸すとか、好きなところに送るとかしてもらった。今、世界では、「どちらが上か」のゲームが手放せない人たちがたくさんいて、世界を破滅させかねないような状態なのだけれど、その人たちもエメラルドのエネルギーに浸ると、何でこんなことに熱くなっているのかわからなくなっているように思えた。

セッションの直後は、まだ何が起こったのかよくわかっていなかったのだけれど、翌日になってから、その意味がだんだんと見えてきたようだった。そのときはまだ、6次元になって空間的な意識になったら、ただありのままでいいから、何もする必要がないように思えていただけだった。しかし、翌日になったら、創造性の領域が100倍にも増えたことが見えてきたのだ。

それが見えたら、今起こっている戦争も、どちらが勝つかといった問題ではもはやないように思えてきた。決着をつけるというようなことは、直線的な思考でしか意味を持たない。6次元の空間的な世界が見えてくると、自然のありとある生き物が、生態系の中で、それぞれにバランスを取り合って動いているように、それぞれがいろいろな方向へ動いているけれど、それはすべて大きな調和を作り出すように動いているのだということがわかる。競争ではなく、それぞれが譲ったり譲られたり、あるいは自衛したり威嚇したりして、全体として調和した世界ができている。ここでは、どちらが上かではなくて、バランス感覚がすべてなのだ。

その領域が見えてくると、さっさと決着をつける必要もないのが、理解できる。そんなことをしても、同じことを繰り返していくことになるだけだろう。しかし、調和へ向かうバランス感覚で動いていくと、まだるっこしいようだけれど、実は調和の領域が加速度的に大きくなっていく。この調和を壊そうとして攻撃してくる人たちは、攻撃の力をどんどん失っていき、いずれは無害な力に変わっていくだろう。

すべての存在を対等に認めるとは、こうしたことなのだ。たとえば、害虫と言われる虫も、実は生態系の中で重要な役を果たしていることがわかる。そのように、攻撃してくる相手も、それはそれで意味があって存在しているのであれば、絶滅させる必要はない。そうではなく、ただ自衛しながらバランスを取っていれば、調和の取れた生態系ができていく。

そこまで見えてくると、エメラルド・タブレットのエネルギーがこれまで封じ込められていたのも、そして今解き放たれることになったのも、何故なのかがよくわかる。地球の人類は、何百年何千年だか支配と戦いの時代を生きてきて、ようやくその直線的な思考から空間的な思考へと進化することになったのだ。3次元から6次元へ。そしてそれは、6次元意識の本当の意味、本当の価値を知るためだったのだと思う。

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画像は、
エメラルド・タブレット(レプリカ)。セッションで使った画像。
アニメ「ワンピース」に出てくるポーネグリフ。エメラルド・タブレットの話のよう。


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