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【質問②】
「空」とは、何ですか?
【回答②】
死を意識すると見えてくる世界です。ところが私達は、心の大地が死によって、崩れるものに立たせている。これを我という。
例えば、人から見た私、モノとか。それによって自分を立たせている。それが死によってなくなる。
立っているものが、この世のものに立たせている。
自分という存在が、この世のもので定義されている。例えば、肉体とか、仕事とか、全てこの世のものでしかない。
自分は何者か?それが死んでいく時には、全部なくなっていく。
自分を証明するために、この世のものを得ようとする。
ところが死を意識すると、どんなに自分のものもして手に入れても、この世に置いていかなければならない。無我が自分だと分かってくる。
私の人生とは何だろう?
我を必死になっている集めている自分が知らされてくる。自分の存在を証明するために生きている。
例えば、自分は勉強が出来る自分を集めていた。最後は人生、全てこの世に置いていく。そうすると初めから、求めなければよかったとなる。
最後は置いていくものを自分は、求め続けているのが私の人生だと
空が分かると、終わる。
何の意味もないと分かる。
価値のあるものは、全部、諸行無常のもの。
置いていかなければならないものを求め続けているのは、苦しみしかない!と分かる。
求め続けて、手に入れて価値のある人間になろうとする。価値を失うと不安になって、苦しい。
人生そのものが、苦しみとなる。
死んだ後は、価値のあるところに立とうとするので、自分を否定して、もっと苦しくなる。
これが無常・苦しみ・無我・空がセットなのです。人生そのものが苦しみなのです。
全て、セットで理解する。私達の楽しみは価値のあるものを手に入れて、価値のある人間になることが楽しみ。それを求める人生は苦しみになる。
価値を手に入れれば、入れるほど、驕慢山に上るので、苦しみになる。
慎ましやかな生活をする人は、今まで余り優越感を味わってこなかったから。
一度、驕慢山に上がってしまったら、下げることは出来ない。下がれば、もはや驕慢山の生活を味わえない。そうすると惨めでしかない。ずっと苦しみとなる。
一旦、驕慢山に上がった価値は、そこ以下の生活をすると、ずっと苦しみとなる。
そもそも、こういうものを求めたことが間違いだと思わない。かき集める作業自体が苦しみなのです。
「優越感を味わうことが、苦しみの始まり」とお釈迦様は言われる。
一度、上がった価値を下げることが出来ない。そういうことを求めることが幸せだと思っている。
価値観が、全然違う。贅沢な暮らしが、私達の夢・幸せとしか思えない。
お釈迦様は、そういう姿を見て、苦しむしかないと見る。仏様の眼からみると、全て苦しみ。
下ろせるか?降ろせない。元々なかったんだ、これが無我。
価値を苦労して、手に入れた。
意味がないとは思えない。意味があった、上がった価値が下がることはない。下がらないと下の生活は、苦痛でしかない。
「仕方ない、仕方ない」と降ろしていかないと、何をやっても人生は苦しみとなる。
贅沢な立場に我がつくから、そういうものをどんなに、求めても苦しみしかない。それが分かったのが「空」です。
🟨②空について聞きたい【死を意識すると見えてくる世界】〖平成仏教塾〗【令和5年06月17日】
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