以下、まとめました。
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【質問】
 
仏教が本当に分かれば、微笑みの絶えない人になれる、と聞きますが、それは何故でしょうか。
 
【回答】
 
お釈迦様の教えが、本当に分かれば、私達は、微笑みの絶えない人になることが出来る、と教えられます。
 
何故、なれるのかと言いますと、ポイントは、「一切は無常である」という、お釈迦様が発見された真理にあります。
 
無常を、お釈迦様は、「聖なる真理」とおっしゃいました。
 
聖なるとは、実際に、お釈迦様が使われたパーリ語では、アリヤ、「超越した、一般とは桁違いの、品格が高い」という単語をつけて、説かれたのです。
 
つまり、「一切を貫く客観的な事実、世間の次元を越えた真理」ということです。
 
無常とは、「一切は絶えず変化している。瞬間、瞬間、あるとも、ないとも言えない、生滅変化の繰り返しである」という真理です。
 
「一切が無常である」ということを理解した人にとって、悩み、苦しみ、怒り、攻撃、落ち込みなどは、存在する理由がありません。
 
「無常を知っている人は、最高の幸福に達することが出来る」と、お釈迦様がおっしゃるほど、理解するだけで、心の苦しみが一切なくなる、凄い真理なのです。
 
例えば、年老いて、最期を迎えた時も、無常を知っている人は、「ああ、悲しい」とは思いません。
 
「ああ、そろそろ、時期が来ました」と思います。
 
自分の命も無常であると知っていますから、そこで執着が起きないのです。執着がなければ、その事実を淡々と受け入れることが出来ます。
 
そして、今、できること、やるべきことに集中します。
 
本当にお釈迦様の話を理解している人なら、自分が癌だと分かったとしても、「ああ、癌ですか。なるほど、先生、どういう癌ですか?」
 
「何とか、手の打ちようがありますか?」と、実際的な対応をとります。
 
執着が少ないので、今やるべきことに集中出来るのです。
 
執着があると、「一体、なんで自分が癌なんかに!」、「嘘に決まっている!」などと、嘆きく悲しんだり、怒ったりしてしまいます。余計な感情が働いてしまいます。
 
無常が分かれば、ただ事実を淡々と受け入れ、今に集中すれば、解決策も速やかに見つかるものです。
 
もし、お医者さんが、「残念ながら、手の打ちようがありません」と言ったとしても、「ああ、そうですか、分かりました。」と、ごく普通のことだと受け止めて、落ち着いています。
 
そして、「そろそろ、死ぬのだから、では、準備しよう」と、気分良く、微笑みを絶やすことなく、対処していきます。
 
ですから、無常を知ると、前向きに生きられます。無常を知ることが、私達の本当の幸せにつながり、心の明るさ、気楽さの秘訣なのです。
 
諸行無常という真理を正しく理解して、お互いに、気楽な、笑顔の人になりましょう。


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