【スサノオのこと】

日本の神話に出てくる人物の中でも、スサノオはかなり奇妙な人物で、筋の通らない話がとても多い。古事記や日本書紀は、平安の藤原時代に天皇家の支配権を正当化するために編纂された歴史書だから、大和朝廷の都合のよいように大幅に書き換えられている。だから、筋の通らないことがとても多いのだけれど、スサノオについての記述では、それが特に目立っているようだ。

第一には、スサノオは母親のイザナギが黄泉の国に還ってしまったために、立派な大人になるまで泣き続けていたとなっているけれど、古事記によれば、スサノオはイザナミから生まれた子供ではない。イザナギが黄泉の国にイザナミを迎えに行って、追い返されて出ていったあとに、黄泉の国の穢を取るために身体を洗っていたときに生まれた子だということになっているのだ。つまり、母親なしにイザナギから生まれた子供で、しかもイザナミには会ったこともないということになる。

第二には、大きくなったスサノオが、イザナミを恋しがって黄泉の国へ行く前に、姉のアマテラスに会いに行ったときに、アマテラスが警戒して、武装して迎えたという話だ。スサノオは、敵意がないことを証明して、ようやく入れてもらえるのだけれど、そこでスサノオは田を荒らし、馬を殺して国を荒らしたので、女たちがショックで死んだとある。それでアマテラスが岩戸を閉じて隠れてしまうという話になっている。

イザナミの故郷である黄泉の国とは、出雲のことだと言われているけれど、この2つの話で、スサノオはまったく出雲側の人間としてふるまっている。イザナミが出雲に還ったあとも、イザナミのところに行きたいと泣き続けていて、姉のアマテラスのところで、天津神の国を荒らしていたのだ。その後、スサノオは出雲へ行って、出雲を治めていたという話になっている。

縄文の海人族である和仁一族は、天皇家に多くの皇后を出している家系なのだそうだ。それも、天皇が出ることはなく、皇后ばかりが多く出ている。大和朝廷は、縄文民族を支配するために、和合の婚姻をしていたから、おそらく和仁族は、縄文の有力な一族として、娘が大和朝廷の皇子と婚姻していたということなのだろう。

しかし、これがだんだんと対等な関係ではなくなっていき、大和朝廷が縄文民族を支配する形に変わっていったのだ。それであるとき、出雲の和仁家と対立が起こり、皇后のイザナミが出雲に帰ることになったというのが、イザナミが黄泉の国に帰ったという話の真相なのではないかと思う。

ともかく、そう考えると、スサノオの奇妙な記述は筋が通るのだ。イザナミの息子であるスサノオは、大和朝廷の皇子として育てられるけれど、和仁族の血を引いているので、出雲のために戦おうとしたのだと思う。そうであれば、アマテラスがスサノオを警戒して武装して迎えたというのも筋が通るし、そこでスサノオがアマテラスの国を荒らしていったというのも、筋が通る。イザナギがイザナミを恋しがって迎えに行ったのに、黄泉の軍団に追われて逃げてきたという話も筋が通る。

スサノオは田を壊し、馬を殺して、機織りの場を荒らしたとあるけれど、こうしたものは、大和朝廷が縄文民族を支配するために使っていたものだ。狩猟採集で生活していた縄文民族にとって、あちこちに田を作られてしまうことは、生活するテリトリーを侵されることになるし、馬は大和朝廷が縄文民族を征服するために戦うのに使っていたものだ。スサノオがそうしたものを壊していったのは、征服された縄文民族の土地を解放しようとしていたように思える。

その後、スサノオは黄泉に行って、黄泉の国を治めたということになっているのだけれど、このスサノオをイザナミの子ではなく、イザナギだけから生まれた子供だとしたのは、スサノオを大和朝廷の子供だという話にして、出雲が大和朝廷のものだという風にしようとしたからなのだと思う。つまり、スサノオの頃から出雲に対する支配権が大和朝廷にあって、だからスサノオの娘婿であるオオクニヌシが治めていたときに、大和朝廷に国を譲ったのは正当だったという話にしてあるのだと思う。

オオクニヌシは、日本書紀ではスサノオの息子になっているのだそうだけれど、古事記では、スサノオの娘スサリビメと結婚した婿だということになっている。オオクニヌシは、八十神に苦しめられて、黄泉に来た。そこでスサリビメに出会って、恋をしたとある。八十神というのは、大和朝廷側の人間だから、やはりオオクニヌシもスサノオと同様に、縄文民族の血が流れている人物で、大和朝廷とは相容れなかったのかもしれない。

オオクニヌシにスサリビメとの結婚を許して、出雲を治めさせるに当たっては、スサノオがオオクニヌシに3つの難題をかけたという話になっている。それをオオクニヌシがすべて解いたので、八十神を平定して、出雲を治めるように言ったということだ。つまり、大和朝廷の支配から、出雲を守れということだ。

そのオオクニヌシが、神武天皇に国を譲ったという話になっているのだけれど、これはつまり、出雲が大和朝廷に敗れて、征服されたということを意味している。熊野では、神武天皇の軍勢は縄文の女首長ニシキトベを倒したあと、伊勢のあたりで縄文の豪族たちを和合の酒宴に招待して、強い酒を飲ませて酔っ払わせたところで、襲いかかって殺してしまった。そのことがあってから、ニギハヤヒが出てきて、国を譲ったとあるのだ。このことは、大和朝廷が騙し討をかけて縄文の豪族たちを滅ぼしてしまったために、ニギハヤヒは大和朝廷に従って、縄文民族を支配する側になるしかなくなったということを示していると思う。

和合の酒宴だといって酔っ払わせて襲いかかるというやり方を、大和朝廷は縄文民族に対して、いろいろなところでやっている。そのことからして、スサノオのヤマタノオロチ退治の話も、出雲の8つの部族の首長を集めて殺してしまった話だろうという説がある。だとすれば、これは本当はオオクニヌシの国譲りの頃の話なのだろう。これがスサノオがやったことになっているのは、スサノオの頃からすでに出雲は大和朝廷に支配されていたという話にするためだったのかもしれない。

もしこの仮説が正しいとしたら、スサノオはまさに縄文民族の出雲を守る英雄といった人物だったことになる。このスサノオが、大きくなるまで母親を慕って泣き続けていたとか、アマテラスのところで暴虐を働いて、髭と爪を抜かれて追放されたとか、何だか情けない男のように描かれているのは、スサノオの英雄的な存在に、意識が向かなくなるようにして、スサノオのイメージを骨抜きにしてしまうためなのかもしれない。

それというのも、インナーチャイルドを解放するセッションをやっていて、出雲のあたりに実家がある人の家族を見ると、男たちがまるで「髭と爪を抜かれた」スサノオのようなのだ。力を奪われて、家族を守ることができず、うだつが上がらない。それで、女たちが苦労して働いて、家族を養わなければならなくなっていたりする。こうした男たちの意識にアクセスしてみると、どうしようもなく支配されて、力を奪われ骨抜きにされているようなイメージがある。出雲のスサノオは髭と爪を抜かれ、国譲りをしたオオクニヌシは、出雲大社の高い塔に閉じこもって隠居する。つまり、幽閉されて力を奪われている。そうした、支配されて力を奪われた男のイメージが、いたるところにある。

出雲は、そもそもは海の幸山の幸が豊富な、とても豊かな土地なのだ。瑪瑙が出て、鉄や銀も出る。それで豊かな暮らしをしていて、松江は茶道なども盛んな文化的な街だった。それが、明治期になってから、だんだんと農家や漁村でやっていけなくなり、子供たちは安い労働力として、都市にやられていった。戦後は集団就職とかで、中卒くらいで工場などの作業員にされることになったのだ。

インナーチャイルドが封じ込められている原因を探っていくと、歪んだ家族関係に行き当たるのだけれど、家族関係が歪む元になっているのが、まさにこうした搾取経済から来る問題であり、遥か古代に封じ込められた男性性であったりする。

島根の西の方の山の中に母方の実家がある人のセッションをやっていて、やはりどうも支配されて力を奪われた男たちの姿が出てきたので、力を奪われる前の時代のままで来たように、過去を変えてしまうことにした。すると、東の方からスサノオが出てきて、支配し搾取している人たちを、まとめて光の剣でなぎ倒しているようなイメージが現れた。まるで、封じ込められていたスサノオが復活したかのようだった。

男たちのこの力が奪われていなかったら、出雲は支配され搾取されることもなく、自立した生活を送ってこられたのだ。豊かな経済があり、高雅な文化があり、人々は幸せに暮らしていたのだ。子供たちも支配に従わされることなく、自由に力強く育っていけたのだ。

これが何になったのかわからないけれど、何だか島根のあたりからじめじめした裏日本というイメージがなくなって、明るい場所に変わったような気がした。出雲から西の方の山筋や川の流れが繋がって、レイラインが通ったみたいに繋がりができたような気がした。

スサノオは、日本の男性性と深く関わっているはずだから、スサノオが解放されたら、日本の男たちも奪われていた力を取り戻して、変わるのかもしれない。日本でも西側諸国でも、男たちの家族を守る本能的な力がある時点から奪われていったために、国の主権まで売り渡すようなことになっているのだけれど、もともとはどこの民族でも、自立した幸せな生活を守るための力は、本能的に持っているはずなのだ。

スサノオは、本当は縄文民族の自立した国を守った男だったのだ。


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