【ライシ大統領のこと】

イランのライシ大統領が、ヘリコプターの墜落事件で亡くなったということだった。この頃、アメリカの覇権主義に抵抗している国の首脳がテロに遭うことが続いていたから、おそらくは諜報機関が工作したことなのだろう。少なくとも、多くの人はそのように考えているようだ。

悪天候の中での墜落だったので、テロかどうかの確定は難しい。イランは、テロ行為には相応の報復を行うと宣言していたけれど、確定できない状況では報復もできないだろう。しかし、イランがどう反応するのかで、中東の状況も大きく変わってくる可能性がある。

亡くなったライシ大統領の魂にアクセスしてみると、エネルギーがあまりにも暖かいので、ちょっとびっくりした。怨みの念も悲哀の念もまるでなかった。自分は決して譲らなかった、最後まで使命を貫き通したという満足感があり、まっすぐにアラーの元に還ったように思えた。イスラム教徒として生きてきた指導者とは、こんな風なのだろうか。だからイラン国民は、イランの指導者を信頼するのだと、何だか納得できた。

イスラム教は、神への絶対服従を命じているから、狂信的で独裁的な宗教なのだろうと思われているけれど、それはロシア恐怖症と同様に意図的に作られた印象にすぎない。イスラム教国は何をするかわからない恐ろしい国なのだと思わせて、NATOの攻撃を正当化するためなのだ。そうしたことを私たちは、アフガンでもイラクでもシリアやリビアでも見てきた。

イスラム教国は独裁国家だと言って、国民を独裁から解放するためにと爆撃するのだけれど、結局のところ、それで油田を独占しただけで、ボロボロに破壊された街はそのままに放置されている。これが国民を解放するためなどではなかったのは、明らかだ。大量破壊兵器を所有しているとかいう話も、あとで間違いだったとわかっても、裁かれもせず、賠償も謝罪もない。

コーランの中で、神が怒り狂って罵倒しているような部分だけが取り上げられて、だからイスラム教は恐ろしいという話がよく語られている。だけど、コーランをよく読んでみれば、神が怒っているのは、神を偶像化して、支配に利用している人たちに対してだけだということがわかる。むしろ、イスラムの人たちにとっては、何よりもアラーは、かぎりなく慈愛深い存在なのだ。

イスラム教は、ユダヤ教、キリスト教の改革といったもので、つまり組織化したことで本来の形から離れてしまった教えを元の形に戻そうとしたものだと言える。2000年ほど前にナザレのイエスが出てきて、無条件の愛である神の教えを取り戻したものの、その後まもなくローマ帝国がキリスト教の教えを支配に利用するために書き換えてしまった。イスラム教が生まれたのは、まさにそれを修正するためだったと言える。だからコーランの神は、あんな神は本当の神ではないと、ものすごい怒りようなのだ。

亡くなったライシ大統領の魂は、女性的にも思えるほどに柔らかく暖かな慈愛深いエネルギーだった。イスラム教徒として、慈愛深いアラーの神とともに生きてきた人だということを感じさせた。イスラム教でもキリスト教でも、死後の魂のために、生きている間は善行を積むようにと教えているけれど、本来は、それは生きている間は我慢して、死後のために貯金をしろというようなことではない。意識の領域のことを知っている人ならば、悪事を行なったときに、それがのちのち死後に至るまで魂に悪影響を与えて、それが代々継承されていくことを知っていると思う。それは悪事をなしたら罰されるとかいう問題ではなく、自分の魂に正直でないことをしたとき、心が閉じてしまうので、大きな力と繋がれなくなるからなのだ。

宗教は本来、こうした次元のことを人々に教えるものだ。そうした次元で何が起こるのかを知っていたら、人は目の前の損得で行動したりせずに、良心に従って生きようとする。それは、三次元的な現実の損得で動くのではなく、ずっと大きな多次元的な領域で生きることであり、その大きな連続性の流れの中で生きることだと言える。

だからこそ、支配者はこうした繋がりを断ち切ろうとするのだ。こうした連続性の中で生きている人を、支配することはできないからだ。しかし、こうした永遠の繋がりを断ち切ってしまうと、人はお金や脅しでどうにでも動かすことができる。支配者たちが、こうした大きな繋がり、宗教的、文化的、民族的な繋がり、家族の繋がりといったものから人を切り離そうとして、個人の自由が何よりも大事だと思わせているのは、実はそれによって、支配可能な人間にしてしまうためなのだ。だからそれは、悪魔の誘惑にかかった奴隷のようなものだ。

その意味で、イスラム教国とロシア正教の国は、こうした大きな連続性を保とうとしていると言える。ロシア正教は、ローマ帝国の支配の道具と化していくカトリック教会から、ある時点で離れていき、ナザレのイエスの精神を守った。だからある意味、ロシア正教とイスラム教は、同じ教えの2つの形だとも言える。

政治家が、宗教的な大きな連続性の中で生きていればこそ、国民は政治家を信頼することができる。お金や脅しで国民を売るようなことがないと、確かにわかるからだ。良心に従って、国民が幸せになるように奉仕すること。政治家とは、本来はその使命を果たすことで、報酬を税金から受け取るのだ。

ライシ大統領のエネルギーとアクセスしていると、絶えずイランを潰してこようとするアメリカ政府や諜報機関に対する憎しみのような念も感じられはするけれど、でも、それもすべてはアラーの御心のままだという信頼が、根底にあるように思えた。彼らは悪魔主義者たちだけれど、それもアラーの御心だからと、絶滅させようとは思っていないようだ。ただ、戦い続けることでバランスが取れるから、戦い続けることが大事だと思っている。

悪魔主義さえも、その戦いの中で、人間それぞれがどう生きるかを問われているだけなのだと思っているようだ。しかし、悪魔主義がいずれ消えていくのは、ちゃんと知っている。すべてはアラーの御心のままだから。それは、宗教的な信条であるというよりも、自然の生態系で自ずとバランスが取れていくのを知っているような、自然な感覚に思えた。

試練の中で、目先の利益に誘惑されずに、永遠の価値のために生きること。多くの宗教はまさにそのことを教えているのだけれど、今まさにその選択が問われているようだ。もし世界中の人々が目先の損得で行動したら、世界は悪魔主義者たちに乗っ取られてしまうだろう。しかし、それは起こらない。すべてはアラーの御心のままだからだ。イスラム教徒たちには、その信頼があるようだ。

イランは覇権主義に譲ることなく、抵抗し続けているけれど、それはイランのことだけではなく、世界が覇権主義から解放されるかどうかがかかっている。もしイランが折れてしまったら、世界のバランスは崩れてしまい、もはや世界が覇権主義から脱していくチャンスはなくなるかもしれない。

ロシアも、モスクワのコンサートホールでの大規模なテロに遭ったけれど、それによって覇権主義に折れることなく、ロシアはますます結束した。覇権主義者たちは、抵抗し続けている国の人々を絶望させて、もう従ってしまった方がいいと思わせるために、こういうテロを行うのだ。もはやまともに戦って勝つことができなくなったので、この頃は卑劣なテロばかりしかけてくる。それで折れてしまう国もあるけれど、しかしもはや多極化へと向かう世界の流れを変えることはできないだろう。それはもうあまりにも大きな流れになっているから。

イランは、5日間の喪に服すということで、追悼の祭礼が行われ、コーランが朗唱されて、人々が祈っていた。そのライブ動画を見ていて、イランの人々は、ライシ大統領のこの暖かい大きな慈愛のエネルギーを受け取っているのが感じられた。だからイランの人々は、このテロで絶望することなく、ますます結束して、世界を解放していくのだろう。そしてまた、この祈りを世界中でともにしている人々もまた、目先の利益ではなく、永遠の連続性を意識して生きていくことに、信頼を強めるのに違いない。

そうしたことを考えると、これもまた多極化へシフトしていくための、一つの力になったのかもしれない。少なくとも、この機会に世界中の人々が、ライシ大統領のこの大きな慈愛のエネルギーに触れることになったのだから。


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