【Mana 賢い王が有能な部下を使うように、インナーチャイルドとつきあうこと】

Mana マナは、ハワイ語で権限 authorityという意味なのだそうだ。これがフナの原則の6番目で、これは、誰もが自分の現実を決める力がある、ということを意味している。会社の社長ならば、自分の会社がどういう方向でどういう仕事をしていくかを決める権限を持っている。そういう風に、本来は私たち誰もが、自分の現実を決める力があるということを言っている。

意識の領域で見たときに、自分の意識が自分の現実を作り出しているということが、はっきりとわかる。もし、自分の意識が自分の現実を作り出しているならば、意識を変えることによって、自分の現実を自在に変えることもまた可能なのだ。だから当然、自分の現実を決める権限は、誰もが持っているということになる。

ところが、私たちは子供の頃から、自分がどういう人間なのか、どう生きるのか、何をすべきなのかといったことが、自分では決められないかのように思わせられてきている。そういうことは、学校だとか病院だとか何かの師匠だとか、あるいは何かの専門家だとかの外の権威が決めることであって、自分で勝手に決めるべきことではないかのようにだ。それで、自分が病気なのか健康なのかさえも、病院やら検査やらが決めてくれるのに頼っていたりする。あなたはどういう病気だからどうしなければならないと言われたら、その通りに従うしかないと思っている。自分がどういう人間なのか、何ができるのか、何をすべきなのか、といったことも、学校の試験だとか何かの検査だとかあるいは師匠とかの権威の人が決めてくれることであって、自分が決めることではないみたいに思っている。だから、自分がどうなるのか、将来がどうなるのか、といったことも、外から来るものを「これが現実だから」と受け入れるしかないみたいに思っている。

しかし、まさにそのように思って、何でもパッシブに受け入れ、自分の現実を自分で決める力を使ってこなかったからこそ、私たちはどうでもいいように支配されてしまったのかもしれない。本当は自分に決める力があるのに、その力を外の権威に譲り渡してしまっているのかもしれない。

それで公開セミナーでは、まず自分にどういう力があるのかを知るために、ダイナマインドというメソッドを使って、それぞれ自分の身体の状態を思うように変えてみてもらうことにした。これは、カウアイ島のカフナのサージ・カヒリ・キングがヒーリングのメソッドとして考え出したもので、とてもシンプルで誰にでもすぐできる。

まず、両手の指を合わせて、玉の形を作る。これが、意識を向ける始まりの合図だ。そして、もし頭が痛いのだとしたら、「私は今、頭が痛い。だけど、これは変わり得る。私はこの痛みが消えるようにする」という風に自分に対して宣言する。それから、身体の3ヶ所を7回ずつタッピングする。最初が胸骨の真ん中、それから合谷(ごうこく)と呼ばれる親指と人差し指の付け根のところのツボを右手と左手両方タッピングして、最後に大椎(だいつい)と呼ばれる首の後ろの一番大きい背骨の骨の下あたりをタッピングする。これは、身体を緩めて、自然治癒力を活性化させるのに役に立つ。そして最後に、また両手の指を合わせて玉を作り、頭頂から息が入ってくるイメージで息を吸い、足の裏から出る感じで息を吐く。それで終わりだ。

こうしたメソッドには、いろいろな形式があるけれど、要は自分の身体の状態がどうあるべきかを、自分の意識で決める力を使っているのだ。それが、Manaの力、権限の力だ。ダイナマインドの面白いところは、たったこれだけのことなのに、けっこうパワフルに効いてしまうということだ。嘘みたいに痛みが消えてしまったりもする。これは、飲みすぎて気持ちが悪いとか、食べすぎてお腹が苦しいとか、そういうときでも使えるし、疲れて頭がボォッとするとか、風邪引きそうだとか、何にでも使える。

花粉症で目がかゆかったのが治ったという人、痛風で足が痛くてしようがなかったのが、痛みが消えてしまったという人もいた。また、肩が痛かったのが、痛みが少し和らぐとともに、自分一人で問題を抱え込まないで、人に助けを求めてもよかったのだと思えた、と言った人もいた。

こういうヒーリングメソッドを使ってみると、身体の症状というのは、実は意識から来ているということがよくわかる。たとえば、肩が痛いのは、自分が「重荷を背負っている」という意識の現れだったりする。それが痛みとして出てくるのは、この状態を変える必要があるからなのだ。だから、意識を変えることで痛みを消そうとすると、痛みを生じさせている根本の原因が意識に上ってきて、それに対処することになる。

フナでは、潜在意識や身体意識をクーとかウニヒピリと呼んでいて、これはインナーチャイルドのようなものだとも言える。ところで、潜在意識は深いところで宇宙意識とも繋がっていて、アカシックレコードのようなものとも繋がっているので、実はものすごい力を持っている。どんなことでも知っているし、どんな力も使うことが実はできてしまうのだ。だから私たちは、自分のクーを万能な部下として信頼して、指示を与えればいい。マナの力を使うとは、そうしたことなのだ。会社だとしたら、いろんな部所があって、いろんな専門家、いろんな取引先との繋がりがある。クーはそうしたものをすべて完全に把握していて、どんな指示を出しても、ちゃんとどこに何を手配すればいいかがわかっている右腕のようなものだ。だから、私たちは一体何をどうやったら可能になるのかなどということは考えなくてもいい。ただ何がどうなるべきなのかをクーに言って、あとはまかせておけばいい。

このメソッドは、不安感だとか怒りが湧いてくるとか、気分が落ち込むとか、そういう心理的な状態にも使うことができる。この頃は、世界が一体どうなっていくのかわからないような状況なので、これからどうなってしまうのかという不安感が襲ってくるという人も多い。そういう不安感にダイナマインドを使うと、何が起きても何とかなるというような、ドーンと肚が据わった気分になったりする。あるいは、恐ろしいようなことは本当は何も起こらない、ということが、感覚的に納得できたりする。

パートナーが本心を隠しているのを見るとイライラするとか、まわりの人の性質に振り回されているのを変えたいという場合は、相手を変えようとしても変えられないけれど、自分がそれに左右されないことを決めることはできる。誰でも自分の現実を決める権限があるのだから、相手が何をやっていようが、それはその人が決めた現実だ。だから、それを変えようとはしない方がいい。

その代わりに、「私は、彼がXXしているとイライラする。だけど、これは変わり得る。私は彼がXXしていても、それに振り回されないようになる」とかいう風にやることができる。これは、相手と距離を取るようで、何だか冷たいようにも思えるけれど、やってみると起こったことは逆だった。勝手に一生でもやってろ、と突き放して思えた一方で、何だか相手に対してハートが開いたような感じになっていた。相手をありのままに受け入れるというのは、実はこうしたことなのだろう。相手は相手だ、と突き放しているようで、実はありのままの相手に心を開くことになる。この状態になっていると、相手の態度も変わってくる可能性もある。

マナの力、権限の力を使うとは、それまでクーに指示を与えず、放りっぱなしにしていたために、外からどうにでもされていて、無秩序状態になっていたのを、指示を与えて秩序を取り戻すようなことだと言える。つまり、いなくなっていた王さまが戻ってきて、国を建て直すようなことだ。そのために、私たちには、すべてを把握していて、何でもできるクーがいる。ただ、その力を認めて、信頼して、指示を与えればいいのだ。

それで、クーとのそのような関係を作るために、クーとアクセスして、自分が社長とか王さまになったつもりで、クーに指示を与え、相談するのをそれぞれにやってみることにした。やってみるとわかるのだけれど、こんなことを望んでもいいのかと疑問に思うような途方もないことでも、けっこうクーは動じた風でもなく、大喜びしていたりする。私たちは、クーの力を過小評価していたようだ。まるで、これまでつまらない仕事ばかり与えられてやる気をなくしていた部下が、やっと自分の能力を発揮できる仕事をもらえたというように、飛び跳ねて喜んでいるようだ。

このワークのあとで、何だか皆、身体に軸が通って、サードアイが開いたように、額のあたりのオーラが強くなっていた。まさにこれが、自分に対する主権を取り戻した状態なのだろう。至福の自由の感覚を感じた人も多かった。これまで自分は自由人だと思っていた人でも、実はまだまだ自由ではなかったのだということに気がついたようだ。奴隷解放の感覚と言ってもいいかもしれない。それまでは、それが当たり前だったから、囚われているとも思っていなかったけれど、本当に解放されたとき、実はそれまで囚われていたのだということに気づくといった風だった。

実は私たちは、他の国に乗っ取られて、主権を奪われていた国のようなものだったようだ。主権を取り戻すことで、もはや他の国に支配されなくなり、初めて自分の力のすべてを、自分のために使うことができる。それによって、これまでは可能だとも思っていなかったような豊かさ、自由、幸福が実は当たり前に可能になるということがわかる。権限の力を使うべくクーとの関係を作るのは、まさにそうしたことのようだ。

それから、湘南が大規模災害に遭うのではないかという予言があるけれど、マナの力を使うことでそれを防ぐことはできるのかという質問があった。これも、他人の問題と同様で、災害自体をなくすことはできないけれど、自分が災害によって被害を受けないと決めることはできるはずだ。ところで、ある人が、地震について奇妙なことを経験したという話をしてくれた。このところ何年も、他のところで地震が起こっていても、自分のいるところでは地震がない、というのだ。近くの人に聞いても、ちゃんと地震が起こっているのに、自分の家だけは揺れていない。地震には敏感な猫でさえも、まったく反応していないから、本当に地震が起こっていないようだと言う。

すると、何人かの人が、やはり同様にこの頃地震を経験していないと言っていた。私自身も、前は日本に行くたびにちょっとした地震は何度かあったけれど、ここ10年くらい、日本に行っても一度も地震に遭っていない。それで私は、日本には地震がなくなったのかと思っていたくらいだった。しかし、どうもそういうことではなかったらしい。

一体どうしたらそんなことがあり得るのかわからないけれど、クーはすべての次元に通じる潜在意識の力なのだから、私たちが不可能だと思うようなことでも、ちゃんと可能にする方法を知っているのかもしれない。台風の進路を変えるようなことなら、ハワイのカフナたちは昔からやっていた。久高島の神女は、男たちが乗った船が海難に遭わないように祈りで守っていて、実際それで男たちは無事に帰ってくる。クーに何が可能なのかは、私たちの顕在意識では計り知れない。

今私たちが、人工災害やら戦争やらを起こされて犠牲にされてしまうのも、実は私たちがマナの力、権限の力を使うことを忘れさせられてきたからだったのかもしれない。何が起きても、「現実を受け入れるしかない」と思って何もしようとしていないようなものなのかもしれない。支配とは、まさにこの状態を作り出すことなのだろう。だからこそ、征服者たちは、土地の磐座や聖地を破壊したり、封じ込めたりするのだ。そうやって、自分の現実を自分で決める力を奪い取ってしまうためにだ。

だから、「自分は災害の被害を受けない」と多くの人が決めるなら、実際に災害は起こらなくなるのかもしれない。もし、「自分は」というのを、ずっと広い範囲にして、自分のいる地方一帯、あるいは国全体に広げたら、自分が決めることで、世界全体を災害から守ることだって、あるいはできるのかもしれない。それで最後に、皆で「自分は災害の被害を受けない」と決めて、その自分のオーラを好きなだけ大きくしていって、世界全体、地球丸ごとでも包んでみてもらうことにした。

ところで、これをやってみると、意外と何のことはなくできてしまった。クーはそんなことも簡単にできるかのようで、まったく動じている風もなく、それくらい当たり前に受け取っているように思えた。これまで地球の人類は、何かの理由で災害や戦争を必要としていたけれど、もうそうしたものを必要としない時代が来ていたのかもしれない。それなのに、私たちが戦争や災害などの試練はつきものだという意識で生きていたので、そのままになっていただけだったのかもしれない。誰かが「もう災害は要らない」と決めさえすれば、災害も戦争もなくなってしまうというようなことだったようにさえ思えた。それくらいの軽さで、すんなりと通ってしまったのだ。

マナの力、権限の力を使うとは、一方的な命令を押しつけるようなことではない。賢い王のように、クリエイティブに調和を作り出すことなのだ。無秩序状態で混乱が起こっている状況で、賢い王は、どうしたら皆が満足して、平和な状態ができるのかを考える。それが機能したとき、多くの人々の力が自ずと王の指示に従って動いていき、すんなりと大きなことが実現したりもする。だから、もし私たちがたった一人でも、世界全体に対して皆が満足するような調和の状態を作り出すことを望んだなら、私たちのクーはあらゆる次元に働きかけて、実現してしまうこともできるのかもしれない。クーは、意識の次元でテレパシー的なネットワークとも繋がっていて、多くの人の意識に呼びかけることもできるはずなのだから。私たちはただ、自分のクーを信頼して、まかせればいいだけなのだ。

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画像は、グラヴォボイ数列で使う浄化のシンボルE=VSのマンダラ化したもの。


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