教育どうこう言う人が増えてきた。

その前に、
「先生、あなたも、か弱き子羊の、
 一人なのか」
という、尾崎豊の残した嗚咽から、
一歩も前に踏み出せていないことを、
どう考えるのだろうか。

その文科省を、そのトップ中のトップとして仕切ってきた、馳浩が、「官房機密費を好きなだけ使って良い」と(アベシに)言われたことを吐露し、
その後文科大臣となった、統一教会ズブズブの萩生田が、
ようやく粛清された。

こんなトップの傘下で組み立てられた、日本の教育システムの構成は、「京大を代表事例とする、絶対に戦争しないと誓った日本学術会議」を、独立した法人格にしようと躍起である。(これは実質時限立法であり、本質的にアカデミアを骨抜きにする。自分で稼いで食っていってください。)

「戦争できる国」にするには、学術会議は邪魔なのだ。
科学者の代表機関である日本学術会議は民生と軍事の両方に使える「デュアルユース(軍民両用)」と呼ぶ先端技術の研究に関して「(軍民両用と軍事に無関係な研究を)単純に二分することは困難」とし、大学などに情報公開やリスク管理など対策をまとめるように求めた。軍事目的の研究には反対の立場を変えていない。

こんな混迷の中で、統一教会さながらの「道徳」を叩き込まれた日には、たまったものではないだろうに。今から振り返れば、世界家族重視、夫婦別姓反対など、究極の我田引水である。(安倍晋三の家族昭恵は、相続税を(政治家ですらないのに)免除された。)

どう児童に、このような体たらくを説明せよと言うのだろうか。

「先生あなたも、か弱き子羊の一人なのか」

尾崎豊の叫びの残響は、今日も止むことを知らない。

正確に復唱すればこうだ、

「「人は誰もが縛られたか弱き子羊ならば、
  先生あなたはか弱き大人の代弁者なのか」」

そのか弱き大人の代弁者から一体何を学ぼうと言うのか。

1985年1月、2ndアルバムに先駆けて、12インチシングル「卒業」は発売された。

それから39年が経とうとしている。

《写真》
なぜ京都大学は、宮沢孝幸を見捨てたのか。
に対する、一つの答え。
(アカデミアが骨抜きにされることの象徴である。)


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