【9月07日(水)】尼崎市の実家にて母親と一緒に、
〖浄土真宗講義【令和4年9月号】〗を聴聞しました。

①仏説盂蘭盆経【概説】
②仏説盂蘭盆経【逐語解説】
③仏説盂蘭盆経【逐語解説】

【レジメ1️⃣資料】
🔶『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』とは、お釈迦様の高弟であった目連が、餓鬼道に堕ちた亡き母を救うために行った供養について説いたものです。
 
🔷『盂蘭盆経』は、お盆の由来が説かれた経典で、毎年7月または、8月に行われる仏教行事「盂蘭盆会(うらぼんえ)」や、お中元の風習の由来でもあります。
 
🔶ウラボンとは、倒懸イコール=倒見の意味といわれる。「逆さに懸(か)かれるものを救う方法」を説いた経典
 
🔷8月には「お盆」、正月に「修正会」を営む。邪を修正するための法会。年に二回の大きな行事は本来、仏法を聞くためのご縁としないといけない。
 
🟩経典の眼目➡️供養、布施、慈悲の素晴らしさを説くもの
 
🟨功徳に二つある
 
🔶功徳廻向(分けてあげる)
➡️廻向とは差し向ける
 
🔶功徳随喜(分けてもらう)
➡️随喜とは、相手の布施の行為を共に喜ぶ。そうすると同じ布施の功徳が自分に頂ける。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
🔷「盂蘭盆」という言葉の語源は、サンスクリット語で「逆さ吊り」を意味する「ウラバンナ」だといわれる。
🔶お釈様には沢山の弟子がおり、「十大弟子」と呼ばれる優れた10人の弟子がいました。
この十大弟子の一人である目連は「神通力第一」と称される能力の持ち主で、あの世まで見通す力を得ました。
 
🔷目連は、その力を使って、亡くなった母親の姿を見通したところ、母親が餓鬼道に堕ちてしまい、逆さ吊りにされていたそうです。
 
🔶目連は、自分を懸命に慈しみ育てた母親が、餓鬼道に堕ちていることに泣き悲しみます。
 
🔷目連の母親は、目連が托鉢(たくはつ)に訪れた際に、我が子に沢山の食べ物を盛り、他の僧には何も与えないという慳貪(けんどん=物惜しみ)の罪を犯していました。
 
🔶目連は飢えと渇きで苦しむ母親を救おうと、食事や飲み物を餓鬼道に送りますが、母親の目の前で、火の灰になって、母親は食べることが出来ませんでした。
 
🔷嘆き悲しんだ目連に相談されたお釈迦様は、「汝一人の力で、供養を母親だけのために使うのではなく、母親と同じ飢えに苦しむ人々を救うために使いなさい」と目連を諭しました。
 
🔶ちょうど、その時期は、雨期に僧が修行をする安居(あんご)が行われている時期でした。
 
🔷そこで、目連は修行を終えた僧たちに、食事や寝床を与え、大切にもてなしました。
🔶供養、布施、慈悲を実践しました。
🔷すると、修行僧たちの喜びが餓鬼道にまで伝わり、母親が救われたようです。
 
🔶『盂蘭盆経』は、
目連の母親のような慳貪(けんどん)という罪の深さ。自分だけのためでなく、困っている人に功徳をする大切さ。
ご先祖様をはじめ、両親や家族、友人など縁のある人々を大切に思って供養することの大切さなどを説いています。
 
🔶なぜ7月15日なのか?
雨季の安居に坊さんは集まる。「4月15日から7月15日まで」
【夏安居(げあんご)、安居(あんご)】と呼ぶ。
 
🔶日本では、斉明天皇(659)7月15日に京内にて『盂蘭盆経』を講じ、七世の父母を報せしむ。【日本書記】
 
🌟「単数形」から「複数計」へ
🔯目連のお母さんは自分の息子だけにしか施しをしなかった。お母さんは「単数形」でしか考えていなかった。
🔷「お母さん」の単数形から「七世の父母【生きとし生けるもの】」への複数計へと、お釈迦様は勧められる。
 
【六神通】〖阿弥陀仏の本願に5願、6願、7願、8願、9願、10願〗にも誓われている。

①宿命通➡️ 自他の過去の出来事や生活、前世をすべて知る力。
 
②天眼通➡️ 一切の衆生の業による生死を遍知する智慧。一切の衆生の輪廻転生を見る力。苦しみ悩んでいる姿が見える。
 
③天耳通➡️ 世界すべての苦しみ悩みの声や音を聞き取り、聞き分けることが出来る力。
 
④他心通➡️ 他人の心の中をすべて読み取る力。
 
⑤神足通➡️ 自由自在に自分の思う場所に思う姿で行き来が出来て、思い通りに外界のものを変えたり、飛行や水面歩行、壁歩き、すり抜け等をし得る力。

⑥漏尽通➡️ 煩悩が尽きて、二度と迷いの世界に生まれないことを知る智慧。
 
🟦【今昔物語〖目連尊者弟の語(24)〗】
🔶目連の弟
「わが父母は在家にして、世を恣(ほしいまま)にせよ」
🔶目連のお母さんは、貪欲によって餓鬼界に堕ちる。
🟪目連には一人の弟がいた。
一ヶ所だけ、今昔物語に出ている逸話に出てくる。バラモン出身で、貪るのが弟。
🔶目連は弟に何とか仏法を伝えようとして、何一つ死んだ後に持っていけないことを説法する。
 
🔷目連尊者の弟・今昔物語 ( 3 - 24 )
🔶今は昔、仏の御弟子である目連尊者に弟がいた。家は大いに栄え、財宝は豊かであったが、決して善根を積むことなく、世間の欲望に強く執着していた。

🔶目連は弟の許(もと)に行き、教えて言った。
「お前は速やかに善根を積みなさい。命が尽きれば、三悪道(地獄・餓鬼・畜生)に堕ちて、苦を受けることが果てしない。

 🔶その時には、財宝を持って行くことなど出来ない。功徳を積む者は、三悪道に堕ちることなく、必ず善処(人界と天界の二つの世界)に生まれることは疑いがない」
 
🔶弟はそれに答えて「我が父母は『在家でいて、自由勝手に世を送れ』と教えてくれたのですよ。
法師というものは、実に嘆かわしいものです。物を乞う心を持っていることこそ、愚かで憎らしいのです。そもそも、功徳とはどういうことを言うのですか」と言った。

🔶目連が答えた。「功徳とは、一つの物を人に施せば、その徳によって、万(よろず)の物を得ることが出来るのである」【一粒万倍の譬】と。

 🔶弟は「それならば、私は兄上の申されるように、人に物を施しましょう」と言って、一の倉庫を開いて、財宝を取り出して、人に与えた。

🔶そして急いで六つの倉庫を造った。それを見て、ある人が尋ねた。「何ゆえに、それほど急いで倉を造られるのですか」と。
弟は答えた。「功徳を造りましたから」と。
 
🔶このようにして、九十日の間、財宝を人に施した後に、尊者(兄の目連)に尋ねた。
「兄上、『仏はこれまでに嘘を言ったことがない』と言っておりましたよねぇ。それなのに、どうして私の新しく作った倉は功徳で一杯にならないのでしょうか」と。
 
🔶目連は「弟よ、私の袈裟につかまりなさい」と言って、つかまらせた。
 
そして、四天王天・忉利天・夜摩天・兜率天・楽変化天・他化自在天(六欲天の第一天から第六天まで下から、上へ順に見て廻ったもの。)と皆、昇って行き、一つ一つ、見させた。
 
🔶様々な娯楽や不思議な事は、一つ一つ、数え上げることが出来ない。
 
その第六天である他化自在天(タケジザイテン)に至ると、そこには四十九階の楼閣があり、各階に欄干(らんかん)が設けられている。
 
🔶各階ごとに、それぞれ一人の女性がいた。瑠璃(ルリ)の女は、瑠璃の座に座って、瑠璃の糸を織機に懸けて、瑠璃の衣を縫っている。
 
シャコ(貝の殻から製した白色の細工材。七宝の一つとされる)の女は、シャコの床に座り、シャコの糸を懸けて、シャコの衣を縫っている。

 🔶最上階の室内では、金(コガネ)の女が金の床に座って、金の糸を懸けて、金の衣を縫っている。
 
弟は、これらを一つ一つ見て、「転輪聖王(テンリンジョウオウ・正義をもって天下を統治する王の称)の娯楽の家にも、このような女性はいない。

🔶忉利天(とうりてん)の喜見城(キケンジョウ・帝釈天の居城)にも同じような女性はいなかった。
 
わが国の波斯匿王(ハシノクオウ)の宮殿にも、ここと等しい女性はいない。実に不思議なことだ」と思った。
 
弟は女性に近寄って尋ねた。
「あなた方は、どういうお方ですか。いかなる用途に当てるために、糸を懸け、衣を縫っておられるのですか」と。
 
🔶天女は、それに答えて「これは、娑婆世界の釈迦牟尼如来の御弟子てをある目連尊者の弟が、善根を積んで、この天界に生まれ変わる筈ですから、その時にお使いいただくために糸を懸け、衣を縫っているのです。私達も、その人の眷属(ケンゾク・従者)としてお仕えすることになっています」と言った。
 
弟は、これを聞いて歓喜踊躍(カンキユヤク)して言った。
「わが兄である目連は、決して嘘をつくことがない。生々世々(しょうじょうせせ・生まれ変わり死に変わって、未来永劫)の善知識(仏の教えを説いて善導してくれる人)である」と。
 
そして、閻浮提(エンブダイ・人間世界)に帰って、善根を積んだ。
 
🔶「必ず、彼の第六天(他化自在天)に生まれて、勝妙(ショウミョウ・極上無類)の楽しみを受けるだろう。
 
彼の天界における寿命は、閻浮提(えんぶだい)の千六百年が一昼夜にあたり、それで一万六千歳である。
その命が尽きた時には、ついに仏道に入るだろう」と仏はお説きになられた、と語り伝へたるとや。

🟥https://youtu.be/n3KD8VZUuTs 
     〖終了〗


②仏説盂蘭盆経【逐語解説】
【レジメ2️⃣資料】

🔶『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』とは、お釈迦様の高弟であった目連が、餓鬼道に堕ちた亡き母を救うために行った供養について説いたものです。
 
【盂蘭盆経〖意訳〗①】
 
私はこのように聞いた。お釈迦さまが祇園精舎におられた時のことである。
 
神通力で名高い弟子・目連尊者が始めて六神通を得て、自分を育ててくれた恩返しに、亡き父母を教え導きたいとお考えになった。
 
そこで彼は道眼(神通力)をもって世界中を探したところ、亡き母を餓鬼界の中で見つけた。
 
亡き母は飲食も摂れず、骨と皮の姿になっている。
 
目連尊者は悲しみ哀れみ、すぐに鉢にご飯を盛り、亡き母のもとへ送り届けた。
 
母はご飯を手に取り、左手で鉢を支え、右手で御飯を食べようとしたが、口に入れる前に炭に変わってしまう。
 
結局、食べることが出来ず、それを見た目連尊者は、悲しみのあまりに号泣した。
 
仕方なく、お釈迦さまのもとに帰って、この一部始終を報告申し上げた。
 
お釈迦さまは、こうおっしゃった。「目連よ、あなたのお母さんが前世で犯した罪は重く、あなた一人の力では、どうしようもありません。
 
たとえ、あなたが孝順(親孝行)だという名声がどんなに高くとも、天や地の神々、天魔や異教徒、道士や四天王も、どうにも出来ないのです。
 
しかし、十方衆僧威神の力(各地で修行している修行僧の不思議な力)があれば、必ず解脱(脱出)させることが出来ます。
 
これから、あなたのお母さんを救済する方法を教えましょう。
 
すべての困難がなくなり、苦しみがなくなり、憂苦罪障を消除(苦しみや憂い、生前の罪も消し去る)するのです。」
 
お釈迦さまは、続けてこうおっしゃった。
「各地の修行僧は七月十五日になると雨季の修行を終えます。
その時に、七代前の先祖から現在の父母のうち、困難な処にいる者のために、ご飯、様々な料理、果物、水、香油、燭台、敷物、寝具をお供えしなさい。
 
ご馳走を尽くして、お盆に分け、各地から集まった徳の高い修行僧を供養するのです。
 
この日、一切の聖衆、山地で坐禅をしていた者、四段階の修行を完成させた者、木の下で修行していた者、六神通で修行者たちを教え導いてきた者、菩薩や仏たちの化身である修行僧など、全ての修行僧が集まり、一同が会して、みな心を一つにして、ご飯を食べます。
 
清浄な戒律と仏弟子の生活を守る修行僧たちの徳は、どんなに広く大きいことでしょう。
 
このような雨季の修行を終えたばかりの修行僧を供養すると、
現在の父母から七代前の先祖、更に父母妻子兄弟の親族が、地獄・餓鬼・畜生界の苦しみから脱出して、すぐに解脱して、衣食に困ることはありません。
 
まだ父母が存命中であれば、福楽にあふれ、寿命が百年まで伸びるでしょう。
 
すでに亡くなっていても、七代前の先祖までが天界に生まれ、無量の快楽(無限の幸せ)を受けることが出来るでしょう。」
 
そして、お釈迦さまは、各地からの修行僧に対して命じられた。「みなさん、まず施主の家のため、七代前までの先祖の幸せを願って、禅定を行い、食事を頂きましょう。」
 
初めてお盆を頂いた修行僧たちは、まずお釈迦さまにお盆をお供えし、みんなで幸せを願い終わってから、食事を召し上がった。
 
その時に目連尊者も、集まった修行僧も、みな大きな法悦に包まれ、目連尊者の泣き声も、いつしか消えていた。
 
この時に、目連尊者の母は、この日のうちに、長い長い餓鬼の苦しみから脱出することが出来たのである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【盂蘭盆経の原典①】
一時、仏、舎衞国(しゃえいこく)の祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)に在(ましま)しき。
 
大目乾連、始めて六通を得。
父母を度し、乳哺(にゅうほ)の恩を報ぜんと欲し、即ち道眼(どうげん)を以て、世間を観視して、其の亡母を見るに、餓鬼の中に生まれて飲食を見ず。
 
皮骨連立(ひこつれんりゅう)せり。目連、悲哀して即ち鉢(はち)に飯を盛り、往きて其母に餉(おく)るに、母、鉢の飯を得て、便ち左手を以て、飯を障(ささ)え、右手にて、飯を摶(にぎ)るに、食、未だ口に入らざるに、化して火炭と成り、遂に食するを得ず。
 
目連、大いに叫び、悲号啼泣して馳せ還りて、仏に白して、具に陳(のぶ)ること此の如し。
 
仏の言く、汝が母は罪根深く結ぶ。
汝一人の力をもって、奈何(いかん)ともする能わず。
 
汝、孝順にして声、天地を動かすと雖(いえど)も 天神地神も邪魔外道も、道士も四天王神も亦(また)、奈何(いかん)ともすること能わず。
当(まさ)に須(すべから)く十方衆僧(じっぽうしゅうそう)の威神の力を以て、乃(すなわ)ち解脱する事を得せしむべし。
 
吾、今当に汝が為に救済の法を説き、一切の難をして皆、憂苦罪障を離れしめ、消除せしむべし。
 
仏、目蓮に告げたまわく、十方衆僧の七月十五日、僧自恣(じい)の時に於て、当に七世の父母、及び現在の父母、厄難(やくなん)中なる者の為に、具飯と百味の五果と、汲潅(きゅうかん)盆器(ぼんき)、香油、錠燭(じょうしょく)、床敷(じょうふ)と臥具(がぐ)、世の甘美を尽して、以て盆中に著(つ)け、十方の大徳衆僧に供養すべし。
 
この日に当たりて、一切の聖衆(しょうしゅ)、或いは山間(さんかん)に在りて禅定(ぜんじょう)し、或いは四道果(しどうか)を得て、或いは樹下(じゅげ)に経行(きんひん)し、或いは六通自在にして、声聞(しょうもん)縁覚(えんがく)を教化し、或いは十地の菩薩大人、権現の比丘(びく)、大衆の中に在(あ)りて、皆、同じく一心に鉢和羅(はつわら)の飯を受け、清浄の戒と聖衆の道を具(そな)え、その徳は、汪洋(おうよう)たらん。
 
【汪洋】➡️水が豊かで、水面が広々としているさま。汪汪。洋洋。
 
其れ、これらの自恣(じし)僧を供養する者有らば、現在の父母、七世の父母、六種の親属、三途(さんず)の苦を出て、時に応じて解脱し、衣食自然なることを得ん。
 
若し復(また)、人有りて、父母現在せば、福楽百年ならん。
若しはすでに亡ぜし七世の父母は天に生じ、自在に化生して、天の華光(けこう)に入りて、無量の快楽を受けん。
 
時に仏、十方の衆僧に勅し、皆先ず施主家の為に、七世の父母を呪願し、禅定を行ない、然る後に食を受け、初めて盆を受くる時、先ず仏塔の前に安在し、衆僧、呪願し竟(おわ)りて、便(すなわ)ち自ら食を受く。
 
その時、目連比丘、及びこの大会(だいえ)の大菩薩衆、皆大いに歓喜し、而して目連の悲しみ啼泣する声、釈然として除滅す。
 
この時に、目連とその母、即ちこの日に於て、一劫(こう)餓鬼の苦を脱することを得たり。

🔷「徳」とは「人々よ、直き心になれ」。善が習慣化したものが「徳」

🔶「三途(さんず)」とは?
①火途〔地獄道、地獄の火に焼かれるところ〕、
②刀途〔餓鬼道、刀杖で迫害されるところ〕、
③血途〔畜生道、互いに相い食むところ〕

🔶ウラボンとは、倒懸イコール=倒見の意味といわれる。「逆さに懸(か)かれるものを救う方法」を説いた経典

 🔷頭下足上(ずげそくじょう)で地獄に堕ちると説かれる。
考え方が逆さまだから、苦しみの世界に堕ちていく。
        【往生要集】
🔷死を見詰めることの大切さ。

🟥https://youtu.be/_0e3DqQOqYE 
      〖終了〗


③仏説盂蘭盆経【逐語解説】

【レジメ3️⃣資料】
🌟今回は一般的には「お盆」と呼ばれる夏の仏教行事「盂蘭盆会」の由来である『盂蘭盆経』について解説しました。
 
🌟『盂蘭盆経』が説いているのは「親孝行の教え」であり、お盆はお墓参りや仏壇にお供えをして、「ご先祖様や父母に感謝する大切な日」として日本では、629年より、伝統行事として営まれてきました。【日本書記】
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【盂蘭盆経〖意訳〗②】
この時に、目連尊者はお釈迦さまに尋ねた。
「私の母が、仏法僧の三宝の功徳の力を得て、餓鬼界を脱出できたのは、修行僧の不思議な力のお陰です。
 
将来、全ての仏弟子も親孝行をしようと思う者は、この盂蘭盆を奉ずれば、現在の父母から七代前までの先祖を救うことが出来るのでしょうか」
 
お釈迦さまは、お答えになった。「いい質問ですね。お答えしましょう。
 
目連よ、男僧であっても、尼僧であっても、国王であっても、王子であっても、大臣であっても、役人であっても、庶民であってもみな、孝慈(慈悲の気持ちで親孝行)をしようと思うなら、現在の父母から、七代前の先祖のため、七月十五日【仏陀の法悦の日であり、修行明けの日】に、百味の飲食を、盂蘭盆に盛りつけ、各地からの修行僧に施して、次のように願ってもらいなさい。
 
「現在の父母は、寿命が百年に伸びて、病気もなく、一切の苦悩の患(わずら)いが、ありませんように。そして、七代前までの先祖は、餓鬼の苦しみを脱出して、天界に生まれ変わって、福楽が極まりがないように、無限の幸せを得られますように」
 
お釈迦さまは、仏縁の深い善男子、善女人に対して、告げられました。
 
「孝順な仏弟子は、いつも心の中で父母の供養と七代前までの先祖のことを忘れず、毎年七月十五日に、常に孝順の慈悲の心で両親から、七代前の先祖までを思いやり、盂蘭盆を作して、仏や僧に施し、自分を育て慈しんでくれた父母の長養慈愛の恩に報いましょう。
 
全ての仏弟子は、この教えを大事にして下さい。」
 
この時に、目連尊者も、修行僧も信者も、お釈迦様の説法を聴いて感激し、これを実行することにした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【盂蘭盆経の原典②】
その時に、目連また仏に白(もう)して言(もう)さく、弟子所生の父母は、三宝の功徳の力と衆僧の威神の力を蒙(こうむ)ることを得るが故なり。
 
もし未来世の一切の仏弟子は、孝順を行ずる者も、また応にこの盂蘭盆を奉じて、現在の父母乃至、七世の父母を救度(ぐど)せしむべきや否や。
 
仏の言(のたま)わく、大いに善(よ)し。快きかな問うこと、我(われ)正(まさ)に説かんと欲す。汝、今復(また)問えり。
 
善男子、もし比丘、比丘尼、国王、太子、王子、大臣、宰相、三公、百官、万民、庶人有りて、
孝慈(こうじ)を行ずる者、皆応(まさ)に所生現在の父母、過去七世の父母の為に、七月十五日、仏歓喜の日、僧自恣(じし)の日に於て、百味の飲食を以て、盂蘭盆の中に安じ、十方自恣の僧に施し、乞いて願うべきは、すなわち現在の父母をして、寿命百年にして病なく一切苦悩の患(うれい)なからしめ、乃至七世の父母をして、餓鬼の苦を離れ、天人の中に生じて福楽の極まりなきを得せしむべし。
 
仏、告げたまわく。諸の善男子、善女人、是の仏弟子、孝順を修する者は、まさに念念の中に、常に父母の供養、乃至七世の父母を憶うて、年年、七月十五日に常に孝順慈憶(じおく)を以て、所生の父母、乃至七世の父母の為に、盂蘭盆を作して、仏、及び僧に施し、以て父母の長養慈愛の恩を報ずべし。
 
もし一切仏弟子は、当(まさ)にこの法を奉持(ぶじ)すべし。
その時に目連比丘、四輩(しはい)の弟子、仏の所説を聞きて、歓喜し奉行せり。
        仏説盂蘭盆経 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【参考資料】

🔷『盂蘭盆経』(うらぼんきょう)は、竺法護(じくほうご)が翻訳したとされる仏教経典です。
 
🔶『盂蘭盆経』は『出三蔵記集」など成立の早い経録や『経律異相』では『盂蘭経』と記され、
🔶『盂蘭盆経』の題は『大周刊定衆経目録』『開元釈経録』など比較的成立の遅い経録と宗密による注釈に現れる。
 
🔶そのため「盂蘭盆」は一語と見るべきでなく、「盂蘭」と「盆」の複合語と解すべきであるという。
🔶そしてサンスクリットにおけるdはパーリ語やガンダーラ語を含む中期インド語においては(時として)lとなること、漢訳における音写では、語末の母音は省略される傾向にあることから、サンスクリットodana(オーダナ)から派生した中期インド語としてolana(オーラナ)を想定することができ、「盂蘭」とは、このolanaの語末母音の欠落した形olan(a)の音写語であるという。
 
🔶それゆえ、盂蘭盆とは「a bowl for boiled rice」、すなわち炊かれた米飯(olana)を盛った容器(盆)を意味するという。

🟥https://youtu.be/qqi13ONWVlc 
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