【質問】
 
仏教では「病人の面倒を見ることは、ブッダの面倒を直々に見るのと同じである」と聞きましたが、本当なのでしょうか。
 
【回答】
 
仏教では「病人の面倒を見ることは、ブッダの面倒を直々に見るのと同じである」と強調します。
 
お釈迦様は、経典の中で「誰かが病人の面倒を見ているならば、その人は如来(ブッダ)のお世話をしているのです」ともいわれています。
 
ですから、もし介護に携わるチャンスが現れたならば、それはブッダ自身に会える稀な機会であると、またこの上ない幸福な出来事であると、理解した方が良いのです。
 
ブッダに会うことが出来たら、究極の幸福に達するでしょう。
 
「ブッダのお世話をしているのだ」という気持ちで介護するならば、ただちに心は幸福に満たされるのです。
 
介護することが、どのくらい幸福を感じられるのか、どれくらい智慧を開発して、解脱に近づけるのかは、私達のアプローチ次第になります。
 
「介護を受ける方は、ブッダの化身である」と素直に思えるならば、結果は100%です。
 
「そんなことを言われても、この人をブッダとして見るのは、とても無理だなあ」という気持ちになると、幸福度はその程度にとどまります。
 
お釈迦様がいくら説かれたからと言って、たちまちその気持ちになることが、皆に可能とは思えません。
 
しかし、ブッダの言葉は真理の言葉です。
 
したがって無理をしてでも、そのアプローチをとった方が、介護・看病する方々が、幸福に満たされることは間違いのないことです。
 
では、なぜブッダに会うことが、究極の幸福になるのでしょうか。
 
それは、ブッダは人格を向上させること、心を育てること、心の穢れ(煩悩)を落とすこと、智慧を開発すること、解脱に達して、一切の苦しみを乗り越えることを教えて指導するのです。
 
清らかな心で看病したり、介護したりするならば、私達も同じチャンスに恵まれます。
 
介護は、心を清らかにする稀なチャンスなので、介護をして決して損をしたり、人生にマイナスになることではありません。

私も自分に戒めて、親を大事にしていきたいと思います。

🟥https://youtu.be/uRKhn2Y6wMY
     〖終了〗

https://www.facebook.com/groups/yuishiki.jiko/permalink/2251093518371114/