【❤よしりん講和 =不安定を求めよ、ならば安定する。多くの人が勘違いは、安定を求めれば求めるほど生活が不安定になることだ❤】長文ですが、超重要なので、安定した生活を求める人ほど、読む必要があります💖さて、ヤジロベイは、不安定ですがどんなに故意に揺らしても揺らしても倒れませんし、地震でもたおれません。一方、積み木は何もしなければ安定していますが、手を下せば簡単に崩れます。そして、二度と元の形に戻りません。つまり、一見不動の安定している状態は、何かあれば二度と元に戻らないのです。積み木に保険をかけても元に戻らないのと同じように、自動車保険や生命保険をかけても、一見安心・安定が得られるような気がしますが、保険で事故や病気が無くなるわけでは無いのです。昨今、東大などの一流校卒のエリート官僚やそのOB、政治家の不祥事が多発しています。エリートは、人生と将来の安定を求めて勉強し、高い偏差値を得て東大などの超難関校を突破し、上級国家公務員試験を経て省庁の中の省庁といわれる財務省などに入ります。ところが、エリートは挫折を経験していないので、何が問題があると極めてもろく、セクハラやパワハラや口利きやその疑惑で失脚したり自殺をしたりした人は少なくありません。

 彼らは何を求めて役人になり、今の仕事をしていたのでしょう?

 それは上級国家公務員という非常に安定した職業を目指し、将来を不安ない生活をするためにこの職業を選択したのです。

 ところがこれがいけないのです。

 彼らは非常に厳しい勉強をして受験戦争に勝ち、高い偏差値を得て東大などに入っていきます。そしてさらに上級国家公務員試験を経て役人になっています。

 それ自体は素晴らしいことですが、このように頭のいい人や偏差値の高い人は挫折を殆ど経験していないので、この挫折をしていない集団は、痛い思いをして自分の考えを悔い改める訓練ができていないので、必ず集団でミスをおかします。

 『危機管理』とは想定外のことを多く経験したひと=挫折や騙されたり、盗まれたり犯されたり大けがをしたひと、そしてこの経験から瞬時に過去の事例の解決方法を自らの脳から探し出し、解決する方法です。

 つまり、エリート集団は、危機管理力が最もない集団、とも言い換えられるのです。

 戦前のエリートは、陸軍士官学校と海軍士官学校。これらにいけない人が東大に行ったのです。

 陸軍省と海軍省はライバル同士で仲が悪く、エリートが派閥争いでお互いに足を引っ張り合い、ある仮説ではこれが原因で、日本は先の大戦に負けたと言われているくらいです。

 一方、一流の経営者になるための3条件というものがあります。このうちの少なくとも一つ、できれば全てをクリアして初めて一流の経営者と言われています。

 それとは、

①いわれの無い理由で投獄されたことがある
②死の境をさまよう大病や怪我を経験したことがある。
③会社を倒産させてしまったことがある

 このくらいの挫折を味あわなければ、危機に陥ったときに平常心で問題解決が出来ないと言うことです。

 東芝や日立などが経営危機に陥ったことがありました。

 現在の大手の企業経営者は、その殆どがサラリーマン社長であり、創業者ではありません。

 創業者は多大なるリスクを全て背負い、会社の命運をすめて担っています。

 ところが、社長2代目以降は成功した企業の財産を守ることが仕事となってしまうからです。

 経団連などに入っている大手企業は手厚く規制によって守られており、もはや経営者は上級国家公務員レベルで危機管理力がありません。

 豊田佐吉、松下幸之助、本田宗一郎、井深大と盛田昭夫、稲盛和夫、三木谷 浩史、そしてホリエモン。

 ホリエモンなどは、実際に国策捜査によって逮捕投獄を受けています。

 しかし、ホリエモンは元気に生きていますし、だれも犯罪者扱いしていません。むしろ、投獄されて事によってより強く逞しい経営者になっています。

 中曽根康弘元総理大臣は100歳を超え、残念ながら一昨年亡くなりましたが、享年は101歳でした。

 中曽根氏は東京帝国大学法学部から内務省に入省。

 ここまでは一見単なるエリートですが、短期現役制度に応募し、海軍主計中尉に任官しています。

 つまり、戦争をする時代に軍人を選択する、という、わざわざ死に目に会う超不安定な方向に向かったのです。

 ここからは、中曽根氏のWikipediaより引用します。

 ボルネオ島のバリクパパンに向かう途中のマカッサル海峡で14隻のうち、4隻が撃沈される。中曽根が乗船している前後左右の4隻は轟沈、さらに接近してきた敵駆逐艦から副砲や機関銃で攻撃され、輸送船も炎上する中曽根が情況を確認すると、船倉は阿鼻叫喚の地獄絵図になっており、多数の重傷者を出していた。班長も脚部ほぼ切断の重傷であり、中曽根は軍医長に託したものの、班長は部下の治療を優先させているうちに戦死した。この戦いで戦死した仲間達の遺体は、バリクパパンの海岸で、荼毘に付した[中曽根はそのときの思いを俳句にして詠んでいる。

 友を焼く 鉄板を担ぐ 夏の浜 夏の海 敬礼の列の 足に来ぬ

 戦後、内務省に復帰し 内務大臣官房事務官、香川県警務課長、警視庁警視・監察官を務める。その後退官し、1947年衆議院議員選挙に当選。若い頃から総理大臣を目指すことを公言し、憲法改正や首相公選論の主張など大胆な発言やパフォーマンスを好んだことや、同世代の日本人としては大柄な体躯や端正な風貌もあって、早くから存在感を示していた。

 わざわざエリートから軍人へ、そしてせっかく内務省に戻ったのに、さらに不安定である国会議員をめざしました。

 さて、現在の総理大臣でここまでの苦難を自ら受けている人がどれだけいるでしょうか?

 そして、その戦後の総理大臣達を後ろから動かしたフィクサーの笹川良一氏や児玉義夫氏は、それこそ壮絶な人生の荒波にあっています。

 挫折と失脚の繰り返しです。

 だからこそ、良いことも悪いことも含めて歴史に名を残し、日本の戦後復興の立役者でもあるのです。

 さて、冒頭に戻り、不安定を求めるとは、無謀という意味では決して無く、常に勝負をかけて 常に世の中のためになりそしてその世の中を改善しようとするチャレンジャーのことです。

 生命保険や傷害保険や地震保険などをがんじがらめにかけても、絶対なる安全は、100%保証されません。

 むしろ、保険に入っていたのに、たった一日違いで保険が下りなかったり、その適応にならない例外だったりすることはいくらでもあります。

 保険とは活用するものであり、頼るものではありません。

 そして、チャレンジャーは 当然チャレンジするんですから安定していません。

 しかしながらチャレンジャーがチャレンジする目的は、世の中を良くすることであり、不安定そのものを求めているわけでは無いのです。

 つまり、安定を求めている人と、不安定を求めているひとはそもそもゴール設定が全く違うのです。

 安定を求めている人は、自分だけの利益を、

 不安定を求めている人は、自分以外の人の利益や国家の利益、世界の利益や、宇宙の幸せを求めているのです。

 目標と目的を見誤ると痛い目にあいます。

 一見、綺麗事にも思えるかもしれませんが、世の中のために考えている人は長い人生最終的には利益を得ます。

 なぜならば自分で利益を独占したいと思っていないからです。

 利益を独占しようとすると必ず軋轢にあいます。

 それが自分さえ安定すれば良い、という思想なのです。

 自分だけが安定するという世界観には、必ず嫉妬と復讐という最もいやらしい人間感情が降りかかってきます。

 ですが、世の為人の為、他人のため利他的に動こうとしている人は攻撃を仕掛けられても攻撃を仕掛けられても、その人が利益を得ようとしていませんから、攻撃の仕掛けようがないのです。

 この年になると、私の友人知人にも生涯の安定を求めて大失敗した人を何人も見ています。

 安定を求めると最終的に起こることは絶望です。

 やりたいことをやれなかった後悔です。

 何のために生きてきたんだ、という無力感です。

 これは保険にはいっても避けられません。

 世間には、生命保険や傷害保険があっても、嫉妬保険や軋轢保険、やりがいが無い保険などは無いからです。

 これは正に孔子のいう『無知の知(知不知)』です。

 しらないから、不安になり、安定を求めてしまうのです。

 良く生きることは、よく知ること。そして、自分よりも周りの人の幸せを願い、一見不安定なようでも、世の中をよくするために生きた方が、いざというときに来たる人が現れ、結果として安定した人生が送れるのです。

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