市民が動くことの意味とは

日本には何の希望も未来もないのではないかと考えてしまうだろう。もちろんそれはその通りであり私は強くそう思っているからこそ、虚無主義的な感覚となり悲観主義的な感覚となる。しかし残念ながら日本のどこにも逃げ場はなく世界のどこにも逃げ場はない状況である。つまり日本人は自らの手でこの日本を変えるよりほかに方法はなく、それは誰かがやってくれるものではなく市民がやらねばならないことである。

最近、医療問題、食汚染の問題、食毒の問題、放射能問題、政治や経済や軍事問題、歴史問題など多くのことで日本でも情報が広がってきた。当然その過渡期の中で、主張はまっとうであってもまだ多数派でないがゆえに、いろんな人々に白い目で見られカルトだキチガイだ妄想家だといわれる人もまた増えている。システム側や利権側は焦りが確かにみられ、職場でも学校でも幼稚園でも医療現場でも、基本的人権さえないような違法行為があふれている状況となっている。突き詰めれば日本の多くで行われていることは憲法違反であり人権侵害で間違っていない。市民が自ら生存していくためには、本来一歩たりとひいてはならないものである。

虚無主義的に考えれば人類などすべて偽善者か嘘つきであるにすぎないが、そうはいっても闘っている日本人を無理に見捨てようとしても致し方ない。それよりもまず相手すべきなのは、いわゆる「国賊」や「売国奴」などと呼ばれるような人々をどうするかにあたるだろう。そしてこの場合、その「国賊」や「売国奴」と呼ばれる人々の定義にこそ問題があり、日本の政治家や総理大臣や彼らを応援する者こそが国賊なのに、国賊が日本を守るために行動している人々を国賊扱いしていることに、問題の根の深さがある。そしてそれを小さいながらも変えていくために市民は活動する必要があるのだが、日本は先進国の中でももっとも市民の活動が希薄であるというところに、また問題の根の深さがある。

市民活動の原点はグループ化であると同時に支配者への対抗策でもある。残念ながら一人一人の市民の力は弱く、お金も大して持っていないのが実情である。しかし唯一市民が支配者たちに対して勝っているものがある。それは単純に人数だ。よってこの人数をいかに増やすかこそが市民活動の基本であり「キモ」になる。いろんな問題と情報を共有しあえるグループを市民は作っていった方が良い。ただしあまりのめり込み過ぎる必要はなく、オフ会やママ会レベルのもので十分なのだ。あまりのめり込み過ぎると派閥化して宗教っぽくなるし、カネも絡みあまりいいことがなくなっていく。

<99%の人に伝えたいこの日本を変える方法より抜粋>

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