【質問】

悟らなくても、死後に幸せな世界に生まれる方法をブッダの教えでお示し下さい。

【回答】

死ぬ間際に私達は何を考えるでしょうか? 

死ぬ時に「正見」を持つか、「邪見」を持つか。

これは次の「生」を決めるのに、非常に重要な鍵となります。

私たちは、いつ、どこで、どのように死ぬかは誰も分かりません。

自然死か、事故死か、病死か、若くして死ぬのか、中年で死ぬのか、寿命を全(まっと)うして死ぬかは、私達には分からないのです。 

そこで、ブッダは私達に、
「常に正見を保つように」とおっしゃいました。

正見を保つことは、優れた善行為なのです。 
「死の時に何を考えるべきですか?」とか、
「どのような思考を持つべきですか?」と質問される方が、時々あります。

多くの指導者が、これについて様々なことを述べています。

では、ブッダは何を勧めているのでしょうか? 

それは、正見を持つことです。
「自分の見解を清らかにすべきである」と教えるのです。 

長い輪廻の中で、誰もが大小を問わず、善い行為も悪い行為もしているものです。

その行為の量は膨大です。
その観点から見ると、一面だけを見て、「この人は善い人だとか悪い人だ」などと判断したり、決めつけたりすることは決して出来ません。 

私たちは善い行為をしている人を見ると、「あの人は善い人だから幸せな世界へ生まれ変わるでしょう」などと考えがちです。

もちろん幸せな世界に生まれ変わる人もいるでしょう。

しかし、ブッダが経典で説かれているように、皆がみな天上界や人間界に生まれ変わる訳ではありません。

悪い行為をしている人に関しても、それは同じです。
悪い行為をしている人が必ず悪趣(苦しみの世界)に堕ちるとは言えないのです。

この「業の複雑性」を理解することは非常に重要なことです。

みなさんには「業は直線ではない」ことをご理解頂きたいと思います。

人の業は様々で、将来どのような結果をもたらすのか、どこに生まれ変わるのかということは、私たちに知りえません。

業のメカニズムは非常に複雑ですから、簡単に答えることは出来ません。

安易に推測したり、判断したりして、他人や他の生命に対して差別感を抱くことは、危険なことでもあります。 

死後はどうなるのか、死後にどこへ転生するのかは、ブッダ、もしくは阿羅漢に達した聖者にしか、分からないと教えるのが仏教です。

では、この問題に関して私達はどうすればよいのでしょうか? 

死後のことは知りえないのですから、それを心配することは無意味なことであり、無駄なことです。

そこで、大切なのは、生きている今、常に善い心で、善い行為をすることです。

解決策とは、ズバリ正見を持って善行為をすることです。 

正見を保つようにする。正見を持って、善い行為を積むのです。

これが私達に出来ることであり、最も安全で、最も安心できる方法なのです。 

世の中には、布施をしたり、奉仕をしたり、ボランティア活動をしたりなど、善い行為を沢山していても、正見を持っていない人が結構います。

ブッダは、正見を持つことを忘れないようにしましょう、と教えられます。

常に正見を持って、善い行為をしていれば、死後、善い処に生まれ変わります。 

また、今、生きているこの世の中でも、人間関係が良くなるなど、様々な幸せが得られます。


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