まあ いい加減に いろいろと

僕のフィクションでしょうか
3.11 14:26 僕は福島県のスーパーにいたのでした
翌日の料理イベントの講師をお迎えして一緒に買い物をし始めました
ガタガタってきて揺れました 震度4くらいと思いました
酒売り場でワインが数本割れましたね

僕はけっこう冷静です。そのワインを飲んでやろうかとも1秒思いましたが
僕が経営しているホテルに戻りました
僕がそこのトップですからね
あれこれスタッフに指示しました
水道管は破裂しレストランは水浸し、エレベーターは動かなくなりました

僕はホテルの再建で福島にやってきました
正確にいうとがん治療のクリニックを経営するためでしたがね
怒涛の毎日でした
福島原発から100キロ離れていましたので
僕はホルミシス効果についてもフランスの科学者の本なども読んでいましたので
放射能を怖がっていませんでした
放射線も微量であれば細胞を元気にすると思っていました
僕は毎日元気でした

福島原発に近い人たちが近くに避難してきました
あるおばさまを少しサポートしました
その人のおうちの荷物を運ぶために強い放射線も浴びながら手伝いました
人もいない町を車で運転しました
イノシシが元気に走り回っていました
植物も元気でした
ただ人がいない、寂しさが漂っていました

僕はその後ホテルを赤字から黒字にし、被災で仕事が無くなった人を20人くらい雇い、避難者の仮設住宅を訪ねたり、一緒に懇話会したり唄歌ったりしました。
救援物資を運んだりもしていました。

風評被害にも悩みました
そこにいたらがんになるとか、チェルノブイリの何十倍もひどいことになるとか
赤ちゃんが死ぬとか、妊婦が危ないとか、すぐに避難したほうがいいとか

僕は日本で共産勢力が奇病の写真とかで記事を出してきたり、放射能に対する恐怖とかあおっていて、米英支配勢力はそんなに気にしなくていいとか
ともかく敗戦国である日本の自民党支配者となんとか日本を乗っ取りたい共産勢力の情報合戦の元で福島は大変な風評被害を受けたと思っています。

福島の農産物は危険という情報も今もあります
大国の日本での情報合戦で福島の農産物は今も評価を下げられたりしています
11年経って全くひどい惨劇にはなっていないことで僕は喜んでいます
何十万人もがんになるとかそんな情報もありましたから
もちろん甲状腺がんは250人前後います
検査機器が精度が良すぎて発見されてしまった人も多いです
甲状腺癌は20年経っても死亡率は5%です
過剰な侵襲的治療がされないことを願います

福島の仲間、知り合いは素晴らしい子供を産み育てています
そこで普通に生きて普通に試行錯誤しながらも幸せに生きています
僕が福島に行くのは一年に一回くらいですが
悲惨な世界には生きていません

僕は貴重な時間を福島で過ごさせてもらいました
それがなかったらまた今の僕もいないでしょう
お礼しなければいけない人も数多くいます
無くなった人も20000人以上います
塩仲間にも親やお爺さんお婆さんを亡くした人もいます
僕は今生きていることに感謝して祈ることそしてまた福島の農産物も買うことで
少し貢献したいと思います

なんか真面目
イエスキヨトシ 口先だけ物語

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