「風にむかって土を投ず ー 瞋恚」

 サ-ヷッティ(舎衛城)の郊外には、かの祇園精舎のほかにも、なお、いくつかの精舎があった。なかでも、城の東、ミガ-ラマ-タ-(鹿子母)の精舎が有名であった。

 それは、仏陀が、その精舎にとどまっていた時のことであるが、例によって、朝はやく、威儀をただして、域内に入り、托鉢をしていると、一人の婆羅門が、仏陀のすがたを見て、つかつかと近寄ってきた。この国のふるい宗教者である婆羅門が、あたらしい宗教者である仏陀にたいして、こころよからぬ感情をいだいていたことは、経典のしばしば記しているところであるが、彼もまた、そのようなふるい宗教者のひとりであった。

 近づいてきた彼は、ありったけの大声をあげて、仏陀に、怒篤をあびせた。だが、仏陀は、平然として、托鉢の歩をすすめている。それをみて、彼は、ますますかっとなって、そのあたりの土くれをひろって、仏陀にむかつて投じた。すると、たまたま、一陣の風が、仏陀の方から彼にむかって吹いた。投じた土くれは、土けむりとなって、彼の面をおおうた。あわてふためく彼のさまを、しずかに振返って、仏陀は言った。そのことばを、経典は、つぎのような偈のかたちをもって記しとどめている。

  「もし人、故なくして、
  悪語をはなち、怒罵をあびせ、
  清浄無垢なる者を汚さんとなさば、
  その悪かえっておのれに帰せん。

  たとえば、土をとってその人に投ずれば、
  風にさかろうてかえってみずからを汚すがごとし。」

 そのように教えられて、彼は、はっとわれに帰り、仏陀のまえに、ふかく頭をたれて、申し言った。

 「世尊よ、わたしは、過ちました。世尊の面前に、かような悪語をはなちましたことは、まことに愚かなことでありました。」

 そして、さらに仏陀の教えを聴き、よろこんで帰っていった。

 むさぼりと、いかりと、おろかさ。これを、貪、瞋、痴の三毒といって、それらを除くことにつとめるのが、仏教徒の日常実践におけるもっとも普遍的項目をなしている。それらの中において、瞋恚すなわちいかりを除くことは、きわめて難しい。しかも、ひとたび、いかりに駆られるとき、積年の功徳も、一挙にけしとんでしまう。まことに恐るべきものは、いかりであると知らなければならない。

(増谷文雄著作『仏教百話』(筑摩書房、1985年))