【質問】

「どちらが上か、どちらが下か」を問題にすることを仏法では、どう教えますか?

【回答】

私たちは、どちらが上か、どちらが下かを問題にしがちです。

「自分は上だ」と証明する為に争いが起きて、戦争まで発展することになります。

しかし、真実から見れば、
「どちらが上か、どちらが下か」なんて、どうでもいいことです。

何故なら、
人間は必ず死んでいくからです。

お釈迦様は、
「上とか下とかにとらわれる心が強いほど、死後に苦しまなければならない」と教えられました。

だから、
「生きている時に上だ」と証明する為に頑張ることは、
「ただ死後の苦しみを生み出しているだけ」で意味の無いことなのです。

なのに、人間は苦しみのタネを喜んで生み出して生きているのです。

そういう人たちは、自分が死んでゆくことが分かっていません。

「死んだら、生きている時の自分なんて、全く関係なくなってしまう」ことが分かっていないのです。

「みんな今の自分のまま、死後も続いてゆく」と思っています。

「自分は死ぬ」と思っていないところから、戦争が起きます。

そんな人にも、必ず死がやってくるのです。

厳粛な未来を誰も見ないで生きていることは悲しいことですね。

『無常観 罪悪観とに 眼をさませ
 あの人も この人も皆 病んでいる
 あの人も あの人も皆 死んでいる。
 われもまた 病に悩んで 死んでいく
 死の淵に 一人残らず 消えていく』
 
『敏腕を 振るった人も 養老院
 散っていく 目に角立てた 人達が
 皆死ぬる 西も東も 老いも若きも
 生き残る とは言いながら 今しばし』
 
『何時(いつ)の間に こんなに手足 皺(しわ)だらけ
 娘嫁 盛りを過ぎて 婆と消ゆ
 どの顔も 死なぬつもりの 顔ばかり
 昔より 生き残りたる 人はなし』
 
『雨と降る 無常の弾を 今日のがれ
 急げ人 無常の疾風(はやて) 待ったなし』


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