多くの死者を出したスペイン風邪も結局は『 薬害 』で死者を量産しただけ・・・w

【 何故!スペイン風邪が世界的パンデミックになったのか? 】

新型コロナもワクチン接種で同じような流れにならなければといいと思いますが…

スペインかぜは1918年5月の流行当初,他の新型インフルエンザと同じく死亡率は無視できる程度であり、同年1月から8月の死亡率は前年の季節性インフルエンザより低かった。

問題は、その後の第二波流行時に25~29歳の米国内の屈強な若年兵に死亡が多発したことであり、それも1918年9月後半から致死率3%と重症化率が跳ね上がったことが目立つ。

この現象が弱毒性ウイルスから強毒性ウイルスに変異した結果であるとされ,今日の新型インフルエンザの恐怖につながった。

その突然の死亡率上昇は,1918年スペインかぜの最大の謎であった。

同時期の新感染にもかかわらず,米軍兵の致死率は2.1%から10%と駐屯地によって大きな差違があり、全米でも地域により死亡率に大きな差違が表れていた。

この現象は同一期間なのでウイルス変異では説明できず、生活や周囲環境、天候、人口密度、さらには予防法にも違いはなかった。

ここで,1918年9月という時期と、サリチル酸(アスピリン)をウイルス疾患に使用したときの害反応を合わせると謎が解ける。

1917年にアスピリンの製造特許が切れ、多くの製薬会社が利益を求めてアスピリン製造に群がり、巷にアスピリンがあふれていた。

スペインかぜで激増する高熱患者は、アスピリンに格好の提供先を与え、アスピリン販売量は前年の2倍に跳ね上った。

当時は副作用が出るまでアスピリンを増量して、それから少し減量して継続するのが通常の服用法であった。

1918年9月13日には公衆衛生局長官が、同26日には海軍が、10月5日にはアメリカ医師会雑誌(JAMA)が、「外国ではアスピリンで症状改善に成功している」とアスピリンをスペインかぜに推奨した。

こうして、医師はインフルエンザ患者に大量のアスピリンを用いた。
皮肉にも新患数が減りはじめた秋口に、スペインかぜによる死亡が急増し始め、第二波の流行とされた。

それは海軍で9月後半,陸軍で9月末,そして一般人では10月後半のことで,アスピリンが広く推奨され始めた時期に一致する。
https://npojip.org/sokuho/120327.html

■YouTube全動画・2020/09/28
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