苦しみの深い人ほど、救うのに時間がかかる。

それはその人自身思い通りにならない時に簡単に自分を見捨ててしまうからです。

助けて欲しいと求めてくる人を救うのは、こちらが教えを説くだけで救えるが、自分を見捨ててしまう人に対してはどんな言葉をかけても、救うことは難しい。

そんな人はちょっとしたことで、自分を見捨てる。だから、話す側も言葉を選んで、相手が自分を見捨てないようにしなければならない。

でも、どんなに言葉を選んだとしても、現実がその人にとって不都合な現実となって現れる。

自分の中では上でいたいのに、現実は自分を下だと見せつける。そんな中で自分の中で言い訳をして、自分の中だけは上だということで落ち着いている。

仏法を伝えるとは、相手に不都合な現実を受け止めるように勧めてゆかなければならない。

でも、相手は不都合な現実が見せつけられると、もう見たくないと思って現実から逃げてしまう。

逃げても現実は変わらないのに、それでも、どうにもならない現実となってぶつかるまで、逃げ続けてしまう。

現実を受け止めさせるのが仏法。
現実から逃げるのが相手。

だから、この相手を救う為にはどうしても持久戦となる。

逃げている相手にどんな言葉をかけても届かない。

そんな時は逃げていたら、ますます現実が深刻になると分かっていながら、逃げさせてあげる。

現実が自分は上だという儚い夢をぶち壊し、自分には何もないと知らせるまで、ゆっくりと待つしかない。

こんな時思うのです。この人が少しでも仏法を尊いと思う気持ちがあれば、もっと簡単に救うことができるのにと思わずにはおれません。

この人にとって何よりも自分の考えが正しいと思っている。

その考えで生きてきて、現実が悲惨な状態になっているのに、悪いのはみんな他人。自分は正しいと思い続ける。

その為、そんな人にどんなに真実を伝えても、その人の考えと合わなければ、簡単に切ってくる。

だから、その人に対して何も言えない。

たとえ間違った方向に進んでいても、肯定してあげることしかできない。

だから、現実はますます都合の悪いものとなってゆく。

そうなると分かりながら、それでもその人のことを肯定し続ける。

失敗すると分かりながら、それでもその人の考えに合わせてゆく。

頭で分かっていても、それでも失敗しない方法を教えたくなってしまう自分がいる。

それでまた相手に言葉で現実を教えてしまう。

この人には言葉は通じないとなかなか分からない。

この人が信じているのは、仏法ではなく、自分の考えだと肝に銘じないといけませんね。

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