「友麹」
このところ醤油麹作り一色なのだけど。だから、投稿も醤油のことばかり(笑)。
そう、今から23年前、その老人は開けた山の頂上近くに家を建てて住んでいた。
お世辞にも素敵な家とは言えない、はっきり言えばほったて小屋という名のボロ屋に住んでいた。
その老人の家を訪ねた時、米糀を醸す良い香りがして、その老人に米糀作りを教わったという話は前に書いた。
その老人は、人に教えるのは苦手だと言っていたが、なんとか醤油の作り方を聞き出すことに成功。
その時の話がとても印象的だったので、ここで紹介しようと思う。
その老人は、壊れかけの冷蔵庫から、緑色の塊を両手一杯ぐらい出してきた。最初、僕はそれが何か分からなかった。
「おたくは若くはなさそうだけど、近くに友達はいるのか?」
実は痛いところを突かれた。まだ本格的な移住前で、友人はいなかった。
「いえ、この辺りにはあまりいないです」
「だろうね。家族は?」
「今は事情があって一人です。」
「そうか、それじゃ醤油は無理だよ(笑)」
唐突すぎて理由が分からない。友人や家族の手を借りないと無理という意味なのか。いや、その老人は一人で醸している。
それっきり老人はその話をしなくなったので、困った僕は自宅に帰ることにした。
「とりあえず、友人を探してきます。」
多少嫌味を込めて言ったのだが、それに対して老人はこう話し始めた。
「友人を作れと言う意味じゃないよ、友人も作ろうとしない奴には、麹の世話などできないって言うことだよ(笑)」
なかなか衝撃的な言葉だった。そして、至極納得した。
醤油麹を醸す場合、とにかく頻繁な世話が必要である。常に麹を気にかけ、冷めれば温めて、熱くなれば冷ます。
居づらそうなら場所を変え、変化していく様子を観察し、手助けが必要ならとにかく手を貸してあげる必要がある。
友人がいない人は、他人に対して心遣いがない場合がある。自分勝手で、自分本意で、他人がどうであろうと気にかけない。だから友人が離れていく。
つまり、他人に気配りできる心のゆとりがない人には、麹の世話は無理だと言う意味なのである。
ごもっともだと思った。麹を醸してみれば分かる。まるで乳飲児を育てるような大変さなのだ。
何事もそうだとは思うが、"育てる"と言うのは、自分以外のものに心を捧げるという事である。
「これは友麹と言って、以前に作った麹を使って新しい麹を作るやり方だけど、そこには命のリレーってものがあってね、命のリレーを知らなければ、家族もできないし、友人もできない。そういうもんだと思うな。」
命のリレー。良い言葉だ。それ以降、僕は命のリレーという言葉をよく使うようになった。
醤油麹は4日間、米糀は3日間付きっきりでの世話になる。しかし、麹が育った時の喜びは、誰かと共有したくなる。
例えば、家族や友人と。
もし良かったら、醤油麹や米糀を一緒に醸してみませんか?この後、絶賛募集中なのは山梨県北杜市の米糀ワークショップと味噌作り。
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