「胃癌と老婆」
胃の調子が悪いので、診察を受けると確かに胃癌。
「ばあさん、俺は胃癌の研究がしたいのだが、もし死んだら、解剖さしてくれませんか。そのかわり、一等室に入れて看護婦付けて、食事も一切私が持ってあげる」
「それは何とありがたいことか。私は一人者で、身よりもなければ銭もない、ここに参十円ありますから、差しあげておきます。死んだ後に人のためになるならば、切るとなりと焼くとなりと研究してください。
医者は、二週間は持たないと思っている。しかるに、一ヵ月経っても調子よくなるばかり。友人が来たとき
「誤診ではないか。診てくれ給え」
「確かに胃癌、漸次よくなってゆく」
「不思議なことだ」
本人に心境を尋ねてみると
「私ほど仕合わせ者はおりません。朝に晩に心の中は念仏三昧でございます。院長さんは阿彌陀さま、看護婦さんは観音さま、薬剤師は勢至さま、食事は百味の飲食、寝台は七宝の蓮台、ひとり者の婆がのたれ死にするのが可哀想だから、仏さまが胃癌にまでして一等室に入院さしてくださったとは、この世からの極楽でございますので、涙とともにいつも感謝しています」
「なるほど薬だけではいけないのだ、精神療法ほど大切なものはない」
と、医者も念珠かけて診察するようになり、三拾円貰ってめでたく退院した。
(大沼法龍著作『教訓』(敬行寺、1972年))