グラーツでのデモの動画はこちら。


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【腐敗の深さ】

先週の木曜日にオーストリアで、例のウィルス感染を予防するという薬剤の接種を義務化する法律が議会で可決されて、政治の腐敗の深さを思い知らされた。

これまでのことからして、予想通りの結果ではあった。しかし、義務化が発表されてから2ヶ月、毎日のように各地でデモが行われ、これまで見たこともないほど多くの人が抗議していた上、提出された異議申し立ては20万件以上にも上っていた。異議を出したのは、医師や弁護士や抗議グループの人たちばかりではなく、実施に関わる社会保険局や警察などからのものもあった。何百万人という人々に罰金を請求するなど事務手続きだけを考えても不可能だし、意味がないという見解だった。

それなのに、そのすべてを無視して、圧倒的多数で可決してしまったのだ。3つの政党のほとんどすべての議員が賛成に投票したということだった。ただ十数人の議員が当日欠席したそうだ。少なくとも賛成票を入れることで、この国家的犯罪に加担したくないという意志の表れなのらしい。だけど、そんな意志表示しかできないのならば、一体何のための議会なのか、何のための選挙だったのかと思う。

この2年間のことを見ても、政治家にものすごい圧力がかかっていたことは想像できる。ウィルス騒ぎが始まってから、政治家たちは自分で調べて考えているとはとても思えないような様子で、どこかからやってくる指示に盲目的に従っているだけのように見えた。最初のうちは、まだ情報がないからわからないのかもしれないと思っていたけれど、もう二年も経って、あらゆる数の捏造や薬剤による被害やらがもう隠し切れないほどに出てきている今、その薬剤の接種を義務化することに賛成するなど、大量殺人に加担しているのを明らかにするようなものなのだ。それでも圧倒的多数が賛成票を入れてしまったとは、驚くべきことだった。

政府も議会もここまで腐敗していたのだ。それを見せつけられた思いだった。政党政治も、議会制民主主義も、三権分立も何もかも幻想にすぎなかった。そんな民主主義の構造のすべてが根っこから腐っていたということがはっきりしてしまったのだ。

でも、それを認識したときに、不思議とすがすがしい気分があったのだ。もうすでにわかっていたことではある。今に始まったことでもなく、もう何十年も前からのことなのだ。それを今まで私たちは、まあそんなものなのだろうと思い、まさかそこまで腐っているわけではないだろうと思おうとし、見たくないものは見ないようにして、それでも民主主義は機能しているかのように思おうとしてきたのだ。そう、自分の魂に嘘をついて。その嘘が一気に破れてしまったかのようだった。

もうごまかしは効かない。ここまで来たということは、政治も議会も根底からくつがえせということなのだろう。もはや信頼できない政府を無理やり信頼しようとして自分を苦しめることもないのだ。それは絶望のあとにやってくる希望のように、何のあてもないからこそ、すべての可能性に開かれているような、そんな不思議な解放感があった。

オーストリアはドイツと並んで闇の支配力に強力に攻撃されていたようなもので、世界中でも最も厳しい感染規制が行われていた。その一方では、抗議活動も活発に行われていたのだ。世界中のメディアがウィルスの脅威をあおり、感染対策の必要をアピールしていたときに、唯一オーストリアのセルヴスTVは、免疫学者のバクディ教授など政府の感染対策に批判的な学者たちを招待して議論させていた。憲法学者のブルンナー博士を中心とする弁護士グループは、ロックダウンが始まった当初から政府の感染対策は無意味で人権侵害であるとして、訴えを起こして法律を無効にさせていた。そのグループが新政党を立ち上げ、秋の地方選挙ですでに3人の州議員を出していたのだ。義務化の法律が可決したあとで、ある新聞のネットアンケートでは、この政党の支持率は18%まで上がって、義務化に賛成投票した与野党を追い越していた。

そんなオーストリアで、義務化が真っ先に行われるとはどういうわけなのだろう? これは政府と行政の自殺行為ではないかと言っていた人もたくさんいた。セルブスTVでは、感染予防の薬剤による被害についての一時間のドキュメンタリー番組を用意していたのだけれど、その番組が議会での評決がある前日に前倒しで放映された。そこには何人もの被害者が顔出しで登場していた。医師たちも助けることができず、たらい回しにされ、医療も政府も薬害であることを認めようとせず、まったく見捨てられた状態だと異口同音に語っていた。政府を信用して接種を受けたのに、裏切られていたことに気づいたのだ。医療関係者も登場して、接種した患者さんたちが次々亡くなっていくと言っていた。遺族も登場して、接種した家族がどんな風に亡くなっていったか、医師たちがどんな風に認定を拒否したかを語っていた。この番組が前倒しで放映されたのは、評決する議員たちに知らなかったとは言わせないためだ。それでもほとんどの議員が賛成に投じてしまったのだから、国民の命さえもどうでもいいということを公に認めてしまったようなものだった。

二日後に行われたデモで、新政党の党首であるブルンナー博士は、あの議会で賛成に投じたすべての政治家はもう選挙で票は与えられない、と言っていた。ただちに義務化の法律を撤回するよう訴えを起こすし、政府に対する退陣請求も起こす、遅かれ早かれ義務化の法律は廃止されるだろうが、それまでには政府も崩壊するだろうと言っていた。オーストリア人は穏やかな国民性で、戦うよりも社交的に解決しようとするのが伝統としてある。ブルンナー博士はまさにそうした知的で上品なウィーン人のタイプなのだけれど、その人が雪が降りしきる中集まってきた大勢の人々の前で、穏やかにしかし決然としてそう宣言したのだ。

議会が行われた木曜日から週末にかけて、この義務化可決のニュースは世界中にショックを与え、オーストリアでは驚きや不安や絶望、さまざまな感情がうず巻いていた。それは何か、キューブラー・ロスが言う「喪のプロセス」を思わせた。受け入れがたい現実に直面したとき、人は否認する、怒る、取引しようとする、絶望する、といったプロセスを経て、受容に至る。ところで、ここで受容に至ったとき、人はすべての束縛から解放されて、これまで見えていなかった新たな可能性に開かれるのだ。それは、己を焼き尽くす炎の中から生まれてくる不死鳥のプロセスであるとも言える。

週末に各地で行われたデモで語る人々の顔は、悲壮でありながら決然としていて、心に内なる光が灯っているのを感じさせた。どうなるのかはわからないけれど、従う選択肢はないのだから、もはや肚を据えて戦うしかない。これは自分のためだけではない。ここで折れてしまったら、自由に生きられるオーストリアの未来はなくなってしまうのだから、この国の未来のためにも、戦い続ける以外の選択肢はない。それを静かに肚の底に落とした人間の顔だと思った。

追い詰められれば追い詰められるほど、人は新たな可能性を発見していく。ロックダウンになって、社会的なコミュニケーションがなくなったと言われる一方では、抗議活動する人々はこれまでには決してなかったような深い心のつながりが増えていくのを感じていた。接種パスによって飲食店やイベントから締め出される一方では、同じように考える大勢の人たちと街を歩き抗議行動するのが、多くの人にとって毎週の楽しみになった。職場や近所の人たちから孤立していく一方で、ネットを通して国際的なコミュニケーションのネットワークが広がっていった。

そしてそうしたつながりこそは、これまでの社会でどんどん希薄になっていっていた人間的なつながりであり、そうしたつながりが作り出す相互的な社会関係なのだ。システムに依存するのではなく、こうした相互的なつながりによって助け合う社会。次第に中央集権的になり、グローバルになって、人間的でなくなっていったシステムをあてにするよりも、こちらの方がよほど頼りになることに多くの人が気づき始めている。

追い詰められきったところで、新しい生はすでに芽生えていたことに気づく。だからオーストリアなのかと、それで何となく納得した。ここまで追い詰められたのは、新しい芽がすでに芽生えていたからなのかもしれないと。

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