【質問】

年末になると私達は、何を思うものなのでしょうか?

【回答】

年末になると私達には、思うことがあります。

それは、
「また一年が過ぎてしまったのか」ということです。

時間というものは、一方向に進むだけで、戻ることはありません。

どれだけ時間を大事に使っても、時間を疎かにしても、
同じだけ時間は流れていきます。

流れてゆく時は、何も気にすることなく、過ぎてゆきますが、

きっと、もっと歳を取ったら、
「若い時に、もっと大事に時間を使っていたら、良かったのになあ」と思うだろうと思います。

だから、年末になると、
「今という時間」にしがみつき、

「この時間だけでも大切に使わないといけない」と思って過ごそうとしてしまう。

本当は、「そんな気持ちで一年間を過ごすことが大切なのだ」と思うのですが、なかなか頭で思っているのと現実とは違います。

『経典』の中では、

「菩薩は休むことなく活動し続ける」と書いてあります。

「一切を開導して、暫時も休息すること無し」【教行信証証巻】

それだけ「時間が大切なのだ」と仏教では教えられるから、
菩薩は休むことなく、衆生済度に邁進されるのです。

仏法は人を幸せにする教えです。

だから、仏法に触れたら、人の思想は変わり、幸せしてあげることが出来ます。

そうは分かっていても、なかなか動こうとしない自分は、本当にしぶとい奴だと、我ながらに思います。

それでも、少しずつですが、

「自分も変わってきているなあ」と感じますと、

諦めずに「タネを蒔き続けなければ」と思い知らされます。

今日の自分よりも、ちょっぴりでも前進する。

それを目標に毎日、皆さまと共に精進させて頂きたいと思います。

『徒らに 歳を重ねて 南無阿弥陀
 南無阿弥陀 今日も事なく 暮れにけり
 南無阿弥陀 今日がこの世の 終わりやら
 南無阿弥陀 今日が仕事の 最後の日
 南無阿弥陀 今日も別れる 寂しい日
 南無阿弥陀 無事の毎日 有り難い
 南無阿弥陀 今日が浮き世の 最良日
 南無阿弥陀 今日のこの日を 汚すまい
 南無阿弥陀 あとを濁すな 今日がおしまい
 南無阿弥陀 事なき事の 有難さ
 南無阿弥陀 力の限り 今日もまた
 南無阿弥陀 一人ぼっちの 道中に
 信の徳 こんな果報と 知らなんだ』

『職場、家庭、周りを見てみれば
 共に戦ってくれた、戦友たちである
 モノ、グッツ、本、ツール、テキスト…などが沢山ある。

 それらをよく見てみれば、
 お役目を十分に終えたモノと
 これからも活躍してくれるモノが、混ざっている筈です。

 お役目を終えたモノには
 「今まで、お疲れ様でした
  おかげで、助かりました」
 と感謝して、別れを告げる。

 来年もお世話になる必要なモノには、
 「今年も、ありがとうございました。来年も、ぜひ力をお貸しください。」
 とお礼をして、気持ちを伝える。

 そうして
 お役目を終えたモノたちとお別れをして、
 再び共に戦ってくれるモノに、決意を語ることで、
 空いた空間には
 来年、新たなる仲間たちが飛び込んでくる。

 そして、戦友のモノたちは
 今年以上に力を発揮し、味方してくれる。
 年末の大掃除とは
 選別の儀でもあり、
 労(ねぎら)いの宴(うたげ)でもあり、
 卒業式でもあり、
 結団式でもある。』


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