「野菜の感情」

十数年前のあの日も畑には朝から激しく雪が降り注いでいた。

この時期に白菜の注文がよく入るので、雪の中、畑に向かっている時のこと。僕の畑の少し手前で、畑を剣先スコップで掘っている老人を見つけた。

挨拶するだけの関係だったが、畑が凍るこの時期に土を掘り返すのは尋常ではない。どうしたかと思って声をかけた。

老人は和かに笑いながら、孫に送る菊芋を掘っていると言う。当時僕もそうだったが、掘り起こした菊芋はすぐにダメになるので、出荷するまで土に眠らせておく。

凍結深度が60センチの標高1000メートル。スコップで掘れない土の硬さにもかかわらず必死に掘ろうとしている。見かねて僕は軽トラに積んであったツルハシを持って老人を手伝おうと近づいた。

僕もこの時期の芋を掘り起こすために、常にツルハシは持ち歩いている。

しかし、予想に反して老人に静止させられた。

「ツルハシは孫が嫌がるんで、このスコップで掘り起こすんだよ。」

しばらく意味が分からなかった。別に近くに子どもがいるわけでもなく、車から見ているわけでもない。

理由を聞く前に、とりあえず剣先スコップで僕も菊芋を掘り返すのを手伝った。正直、グッタリした。

老人はお礼にと、家に招いてくれた。お茶でも飲んでいけと。

家に着くと、老人は掘り起こした菊芋を冷水で洗い、タッパーに味噌を仕込んで、その中に菊芋を埋め込んだ。

「菊芋っていうのはすぐにダメになるから、味噌漬けにするといい。日持ちするし、何より美味い。」

孫に食べさせるにしては、ずいぶんと地味な加工である。

「お孫さん、菊芋の味噌漬けが好きなんですか?」

老人は数日前に漬けていた菊芋の味噌漬けをお茶受けに出してくれた。

「孫は少し変わっててね。こんなのを良く食べるんだけど、野菜が持つ感情が分かるらしくてね(笑)。だからツルハシを使うと怖がるんだよ。」

僕はすぐに意味が理解できなかった。

「刃が鋭い農機具や調理器具使うと食べなくなる。だから孫に送る分は、出来るだけ手作業で畑をやっててね。この味噌漬けも切らずにこのまま折って食べるらしい(笑)」

「嘘みたいな話だけどな。小学校に入って何年かしてからはだいぶ食べられるようになったけど、まぁ俺が作る分は気をつけててね。」

「へぇーそんな事があるんですか?」

そう答えるのが精一杯だった。野菜の感情が分かる子供。本当にそんな子供がいるのだろうか。成長するに従ってその能力も失われていくらしい。俄には信じがたい話ではある。

それっきり、老人とのその話は途絶えてしまったのだが、実は、そのことがずっと僕の頭の中に残り続けた。

野菜の感情。

考えても見なかった視点である。僕は今まで、野菜は換金作物としか捉えてなかった。出来るだけ効率よく機械を使い、短時間でたくさんの作物を収穫する事が命題だと思ってた。

しかし、思うように野菜は収穫できない。その理由が全く分からず、どうしたものかと悩み苦しんでいた。

そんな時に、その話を老人から聞いた。僕には野菜の感情は分からないけど、もしかして、これが僕に抜けていた視点なのかもしれないと薄々感じ始めたのである。

それから約 8ヶ月が経ち、いよいよ栽培に行き詰まった時、その老人の言葉が蘇ってきた。

そして、野菜の感情をもう少し真面目に考えてみようかと思い、僕は畑に寝転がってみたのである。

その後の出来事は、4年前に投稿した、以下の記事を読んで欲しい。この事が僕の考えを改める大切なきっかけの一つとなったのである。
https://www.facebook.com/100002135434218/posts/1405479346199900/

何ごとも同じであろう。他人を道具としか見ていなかったり、材料だとしか捉えていない人。自分が楽に生きて行くために、他人の犠牲にも感情を向けない人がいる。

利益を得るため、権威を勝ち取るため、名声を得るために他人の感情を知ろうともせず、自分勝手なまま物事を進めて行く人たち。

今の世の中は、そういう人たちで満ち溢れているように思う。特に偽政者たちのこと。

生きている以上、全てに感情というものがある。他の生き物の感情を忘れた時点で、その人に手を差し伸べる人はいなくなり、どんどん孤独になっていく。

今必要なのは、他人の心を知り、助け合う事である。分断からは何も生まれない。生きて行くための命のネットワーク作りを、真剣に考える時が来ていると、僕は思う。

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