仏教は因縁果報の教え。

世の中では結果を受けたのだから、それでもうチャラだと思う人がいますが、真実は結果を受けて、それで終わりではない。

その後、報いを受けていかなければならない。

例えば、殺人をした人が捕まって、刑務所に入ったとします。

刑期を終えて、刑務所から出たら、それで殺人を犯したことが無かったことになるのかと言えば、そうではありません。

現実には、その後、あの人は殺人を犯した人だと見られて生きてゆかなければなりません。

その人がどんなに殺人を犯したことを反省して真っ当に生きようと思ったとしても、まわりの人はそうは見てくれない。

一生あの人は殺人をした人だと見られて生きてゆかなければならなくなるのです。

よく刑務所から出た人がまた犯罪を犯して刑務所に入ったという話をよく聞きますが、それはどんなに刑務所で罪を償ったとしても、犯罪を犯したことは無かったことにはならないからです。

その人はこれからも前科者として、周りの人から冷たく見られるという報いを受けてゆかなければならないのです。

その中で、何度も罪を犯したことを後悔して、真っ当に生きたいと思っても思うようにならない。

そんな苦しみを味わってゆかなけれぱならないのです。

それが報いです。

そして、普通報いを受けると反省することはせず、なんでわたしはこんな目に遭わなくてはならないのかと、世の中を恨んで投げやりになる人が多いのも頷けます。

因果の道理は報いを受けるから恐ろしい。結果を受けて、それで終わりにはならないのですね。

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