【質問】

「責任は自分が取る」について、仏教的な視点から、教えて下さい。 

【回答】

よく私たちは、何か問題があった時に「誰がやったか」を問題にして、やった人を責めます。 

しかし、真実から言ったならば、

誰がやったかは、問題ではありません。

誰がやったかではなく、誰に責任があるか、それを問題にしなければならないと思います。 

仏教を正しく理解している人、
悟りを開いている人は、

絶対に責任を他人に押しつけることはしません。

問題が起きた時に、
「誰がやったか」を問題にする人ほど、失敗しないところに自分が立とうとします。

そして、失敗しそうな時には、他人に責任を押し付ける。

そして、失敗したら、問題を起こした人を責める、非難する。

「何で失敗したのだ!」と容赦なく責める。 

そういう人ほど、いつも他人に面倒臭いことは押しつけているから、自分が失敗しそうなこと、失敗をすることはしません。

だから、いつまでも失敗しない処に自分が立っておれますし、

失敗した人を徹底的に責めることが出来ます。 

失敗しない人ほど、自分ではやらなくて、他人に押しつけています。 

しかし、真実から言えば、

たとえ他人に押し付けたとしても、自分に責任があることは、自分が謝らなければなりません。 

自分の感情を納得させる為に、失敗した人を責めてしまうのは人間ですから、仕方がありません。

しかし、最後は自分が責任を取って、自分が謝らなければならないと思います。

そういう意味で、「誰がやったか」は問題ではない。

誰の責任か、それだけが大事だと思います。 

「責任は自分にある」と素直に認められる人になりたいですね。

唯識では、「阿頼耶縁起」と教えられて、全ての運命の直接原因は己れにあると教えられます。

『心浄ければ 社会浄し
 心濁れば 社会も濁る』

『私が怒ると、相手も怒る
 私が笑うと、相手も笑う
 鏡の如し』

『私達は、それぞれ自分の心に
 映る世界を見ている。
 世界を見れば、
「自分とは如何なるものか」を
 知ることが出来ます。』


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