【12月08日(水)】尼崎市の実家にて、『大無量寿経』にある「讃仏偈」を説法させて頂きました。

①讃仏偈【光顔巍巍~猶若聚墨】
②讃仏偈【如来容顔~究其涯底】
③讃仏偈【無明欲怒~靡不解脱】
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【一座目】

讃仏偈(歎仏偈)【さんぶつ(たんぶう)げ】とは、
『無量寿経』上巻に述べられる「四言八十句の偈頌(げじゅ)」をいいます。
 
「讃仏偈」の「讃仏」というのは「仏様を讃える」という意味で、
「偈」とは「うた」のことです。
 
これは『無量寿経』の中で、法蔵菩薩が世自在王という仏様のお徳を讃える場面で出てきます。
 
法蔵菩薩というのは、阿弥陀様が覚りを開く前に修行者であった時の呼び名で、世自在王仏は法蔵菩薩の師(先生)となる仏様です。
 
『無量寿経』には「阿弥陀様がどのようにして仏と成られたのか」について、次のように示されます。
 
ある時、一人の国王が世自在王仏の説法を聞いて深く感動し、
「自分も無上の覚りを開きたい」と菩提心をおこされました。

そして国も王位も捨て、出家して修行者となり「法蔵」と名のられたのです。
 
この時に、法蔵菩薩は師となる世自在王仏の光り輝くお姿を讃えて、自らも世自在王仏と同じように、
「智慧と慈悲にあふれた仏になりたい」と菩提心を起こして「讃仏偈」を述べられます。
 
そして法蔵菩薩は「五劫」という長い間、考えに考え抜いて四十八の誓願を建てて、
「不可思議兆載永劫」という果てしなく長い修行をして阿弥陀仏となられたのです。
 
「讃仏偈」はこのような流れの中で示される「仏様を讃える歌」です。
 
これを聞くことによって私達に
「菩提心」を起こさせるのが目的であります。
 
親鸞聖人は、この「讃仏偈」を聞くことを、
「『聞』と言うは、衆生、仏願の生起本末を聞きて、疑心有ること無し。是を『聞』と曰うなり」
と教えられました。
 
親鸞聖人は聴聞によって、信心「菩提心」を起こされました。
 
そして私達に法蔵菩薩と同じ「菩提心」を起こすことを願われたのが、浄土真宗の教えであります。
 
法蔵菩薩が、世自在王仏に向かって唱えた「光顔巍巍」で始まる概要は以下の通りです。
 
世自在王仏の徳を讃える法蔵菩薩が、ご自身の誓願を述べられます。その誓願が偽りでないことの証明を仏に請うのです。
 
①讃仏偈【光顔巍巍~猶若聚墨】
1、
光顔(こうげん)巍巍(ぎぎ)
威神(いじん)無極(むごく)
如是(にょぜ)炎明(えんみょう)
無与(むよ)等者(とうしゃ) 
 
🔘光輝いておられる、わが師であるみ仏のお顔は、この上なき優れた力に満ち溢れていますが、このように明るく輝いているもので、この世の中に比べられるものはないのです。
 
仏の顔は高大な山のように光輝き、仏の物凄い力は極まりがありません。
このような炎のような輝きは、同等なものはありません。
 
2、
日月(にちがつ)摩尼(まに)
珠光(しゅこう)焔耀(えんにょう)  皆悉(かいしつ)隠蔽(おんぺい)  猶若(ゆにゃく)聚墨(じゅもく) 
 
🔘太陽や月や、更には高価な宝石といった、光り輝くいかなるものの光でさえも、皆一つ残らず覆い隠されてしまって、まるで墨のように光を失ってしまうのです。
 
太陽や月の光も、摩尼宝珠(ほうじゅ)の炎のような輝きも、
仏の輝きの前には、みな悉く影をひそめて隠れてしまい、まるで墨(すみ)のようにさえ、見えます。
【宝殊とは、持つ徳が仏法に例えられる】

 https://youtu.be/-h_Z9oU9ctU
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【ニ座目】

②讃仏偈【如来容顔~究其涯底】
3
如来(にょらい)容顔(ようげん)  
超世(ちょうせ)無倫(むりん)  
正覚(しょうがく)大音(だいおん) 響流(こうる)十方(じっぽう)
 
🔘師匠の仏のお顔やお姿といったものは、世の中の全てのものを超え優れています。仏の正しい悟りの大きな声は、十方のあらゆる処に響きわたっています。
 
仏のお姿やお顔の素晴らしさは、
世に比べる等しいものがありません。その正覚の覚りのみ声は、大宇宙の十方世界に響き流れています。
 
4
戒聞(かいもん)精進
三昧(さんまい)智慧
威徳(いとく)無侶(むりょ)
殊勝(しゅしょう)希有(けう)
 
🔘仏が戒律を保ち、教えを聞き、努力をして、心を鎮め、そして正しい智慧を磨くという、優れたお徳は比べるものがないほどで、殊に勝れた希有といって良いほど、優れておられます。
 
仏の布施と戒の実践と聞法と努力と心の平静と智慧の六度万行が殊更、勝れていることは、他と比べものがなく、稀有(けう)であります。
 
5
深諦(じんたい)善念(ぜんねん)
諸仏(しょぶつ)法海(ほうかい)
窮深(ぐじん)尽奥(じんのう)
究其(くご)涯底(がいてい)
 
🔘深く明らかに、善く正しく念じて、多くの仏たちの教えの全てを充分に考慮し、その奥深い教えについて、究め尽くしておられるので、その限りない底にある教えまで分かっておられます。
 
深く諦らかに、善く海のように、広大な諸仏の教えを念い、
その深い奥底を窮(きわ)めて、
その涯(はて)をも見究(きわ)めておられます。
 
https://youtu.be/iPNEYibQNDw
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【三座目】

③讃仏偈【無明欲怒~靡不解脱】

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無明(むみょう)欲怒(よくぬ)
世尊(せそん)永無(ようむ)
人雄(にんのう)師子(しし)
神徳(じんとく)無量(むりょう)
 
🔘愚かさ、欲望、怒りといったものは、仏には完全になくなっているのです。人間世界の指導者であり、ちょうど動物界の獅子王のような仏の徳はまさに量り知れないのです。
 
愚かさの無明と邪欲と憎悪心は、仏には永遠にありません。
人々の中で獅子のように智慧の最も優れたお方であり、その徳は量り知れません。
 
7
功勲(くくん)広大(こうだい)
智慧(ちえ)深妙(じんみょう)
光明(こうみょう)威相(いそう)
震動(しんどう)大千(だいせん)
 
🔘積み重ねられた功徳は極めて大きく、その智慧はまことに深く、勝れています。この仏の光はまことに力に満ちていますので、全世界にとどろきわたるほどなのです。
 
修行によって体得された功徳は勲章のように広く大きく、智慧は深く素晴らしく、放たれる光の力は、大宇宙の三千大千世界をも震動するほどのものです。
 
8
願我(がんが)作仏(さぶつ)
斉聖(さいしょう)法王(ほうおう) 
過度(かど)生死(しょうじ) 
靡不(みふ)解脱(げだつ)
 
🔘私が心から願いますのは、私も仏となるならば、わが師匠であるこの仏のようになりたいのです。
そして、人々を生死の世界から脱け出させて、一人残らず悟りへと到達させるように致します。
 
願わくは私も仏と作(な)って、仏と斉(ひと)しく同じように迷いの衆生を苦しみの世界から、全て抜け出させたいと思います。

▼解脱せざるはなし
【靡は、非ずの意味。もしくは、なびく、したがう?】
 

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     【終了】

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