「無名の船頭」

 鍋島加賀守が江戸に参勤のため、瀬戸内海を船で走り、その日の内に大阪の川口に着こうという時刻であった。

船頭は一点の曇りもなく風もないのに急に叫んで舟子に帆をまかせ、舟を高砂の入江に着けようと騒いでいる。

加賀守は数度往来して西国の海上には馴れている、これはどうしたことかと船頭をよびつけた。

「風が変りそうで油断がなりませぬ」

「馬鹿、この天気を見い、うつけ者奴が、かまわぬからこのまま参れ」ときつい下知、

船頭は黙って引き退ったが、いよいよ高砂の浜に船を急がすので、

加賀守は怒気心頭に発して「おのれ! 風が若し変らなかったらそちの首をはねるぞ」

「承知いたしました。若し風が変らねば殿にはこれほどお目出度いことはありません。私めは切腹いたしまする」と船頭は答えた。

一刻と経たぬうちに烈風忽然と吹き来り、波浪奔騰、船頭は舟子を励まし漸く九死に一生を得て船を高砂の入江に着けた。

船頭は大役を了え、召しつれた十四歳になる一子を前に坐らせ「船頭が一旦舵を握れば誰の指図もうけてはならぬ、たとえその身は失うとも信ずる通りに船を操るのが船頭じゃ、今日の様をよく覚えて忘るるな」と教えた。

太守はいたく船頭を賞讃し感嘆した。

信じて行えば天下一人と雖も強いのだ、八方より攻撃は受けるとも舵を握ればそれだけの責任があるのだ。

三界の導師を以て任ずる我等教家本当に生死の苦海を乗り切る自信があるか、一身を導き、家族を導き、国家を導かねばならぬ責任があるのだが、激浪怒涛を巻き起こす根本の疑雲が見出せたか、晴天無風の阿片に酔うていて永遠の生命を取失うてはならないぞ。

(大沼法龍著作『教訓』(敬行寺、1972年))