宗教とは恐ろしい。
しかし悲しいのは、仏教は本来、このような宗教とは全く違うのに、仏教を信じている人たちが正しさにとらわれ、悪を否定して「宗教」へと変えてしまったことです。
その為、仏教も宗教の一部となり、宗教アレルギーを感じる人が出てしまったのだと思われます。悲しいことです。
自分は正しく、相手は間違い、悪となったならば、無慈悲なロボットへと人を変える教えが宗教。
真実の仏教は、無慈悲なロボットへと変える教えとは真反対です。
仏教はどんな相手に対しても徹底した慈悲を説きます。
仏教は慈悲の教えです。
出来れば、世の中の人たちが「宗教」に嵌(は)まらないように念ずるばかりです。
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【質問】
「宗教」はなぜ恐ろしいと言われるのでしょうか?
【回答】
人が最も無慈悲になる時とは自分の中にある「正義に従った時である」と言われます。
「正義」とは本来、仏教の言葉で素晴らしい意味を持った言葉なので親鸞も使用しておられますが、現在では間違って使用されています。
今日、使われている言葉の意味は「正義とは、悪を責めて悪を否定する心」と言えるかと思います。
正義感に燃えて悪を否定する人は悪を責めて否定した分だけ、自分自身も自分の悪に対して、否定して責めるようになります。
だから自分は責められたくないから、自分にも他人も「正しさ、正義」を押し通そうとします。
この時「相手の心がどんなに傷ついても、苦しんでもお構いなく」
正義を貫きます。
世の中で、最も悪には冷たく正義を貫くものとは「宗教」と言えます。
だから「宗教とは恐ろしい」と言われるのです。
なぜなら、その宗教にとって相手が悪となったならば、どんなに今まで仲良くしていた人であっても無慈悲に冷たく接するようになるからです。
私も経験済みです。
だから、世の中では、宗教をやっている人を毛嫌いするのもよく分かります。
宗教とは恐ろしい。
しかし悲しいのは、仏教は本来、このような宗教とは全く違うのに、仏教を信じている人たちが正しさにとらわれ、悪を否定して「宗教」へと変えてしまったことです。
その為、仏教も宗教の一部となり、宗教アレルギーを感じる人が出てしまったのだと思われます。悲しいことです。
宗教は恐ろしい。
自分は正しく、相手は間違い、悪となったならば、無慈悲なロボットへと人を変える教えが宗教。
真実の仏教は、無慈悲なロボットへと変える教えとは真反対です。
仏教はどんな相手に対しても徹底した慈悲を説きます。
仏教は慈悲の教えです。
出来れば、世の中の人たちが「宗教」に嵌(は)まらないように念ずるばかりです。
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