【質問】

「無常を受け入れて生きる」ということは、どういうことでしょうか。

【回答】

「無常を受け入れて生きる」ということについて、考えてみましょう。

私たちは、
「自分の思い通りに生きたい、生きられる」と思っています。

だから、思い通りにならないと怒りを起こし相手を責めて、
自分の思い通りになることを期待しています。

無常を受け入れるとは、

「自分の種蒔きに応じた結果を受ける」と受け入れて、生きることです。

現実がどんなに思い通りにならないとしても、その現実は、

「今までの自分の種蒔きによって生み出されたのだ」と受け入れて生きることです。

それが「無常を受け入れる」ということです。

「すべては自分の種まきによって未来が生み出されてゆく」

と思うからこそ、私達は今の種蒔きを大事にしてゆこうと思います。

そして、今、思い通りの結果を受けていないとしたら、

「その現実を変えるのも、今の種まきだ」と思って、今を大事にしてゆく。

それでも思い通りにならないこともあります。

「それは仕方のないことだ」と思って受け入れてゆく。

「仕方なや、蒔いた種なら、生えるもの」

今を受け入れることが出来ないのは、

「今までの生き方が、今を生み出している」と思いたくはないからです。

「こんな現実を生み出すために生きて来たのだ」

と思いたくないから、今を受け入れることが出来ない。

だからこそ、未来に後悔しない為に今を大事にしてゆく。

今を精一杯に生きることが、未来に思い通りにならない結果になったとしても、

その現実を「仕方ない」と思って受け入れていく。

未来の結果を見て、今、コツコツと種を蒔いてゆく。

仏教で教えられる善を実践していく。

それが無常を受け入れるということなのですね。

『今の状況や置かれている立場
 うまくいかないことは
 突き詰めていくと
 結局は、自分が招いたこと。

 誰か(何か)のせいにしている 限り、どんどん悪化して、
 追い詰められていく。

 そこに向き合わないと
 ずっと振り子のように
 大きく振り回される。

 そもそも
 何か起きるから、人は学べる。
 色々あったから、変われる。

 だから、
 自分が原因をつくっていて
 すべて、
「自分にとって必要なことだ」と
 受け入れて、
 日々、その時、その時で
 しっかり向き合う。

 そして問題の本質まで、
 解消していくことで、
 本当の自分と仲間と、
 つながっていき、
 らせん状に上っていける。』


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