【風邪も引かない人間とは?】

この2年ほどで、医療システムのマトリックスが透けるように見えてきたのは、人類の歴史の上でもものすごい進歩かもしれない。

この200年ほど、いわゆる近代医学というものは、病の原因を菌とかウィルスとか毒素とかそういう外から来る物質的なものに求めて、それを除去することで治すという、それまでなかったやり方を始めたのだ。それは、医学の大きな進歩だと長いこと信じられてきたけれど、それが実はお金に動かされていたことにすぎなかったのが、ここに来てはっきりしてきた。

外の何かに罪を着せて、それと戦うための武器を売りつけるのは、悪徳商人たちの常套手段だ。

それで人類は、除菌をするための薬や抗体を作る薬を大量に使い始めたのだけれど、その結果ますます病気になりやすくなったというのが本当のところだ。除菌や殺菌、抗生物質のために、身体の菌バランスが崩れて、ますます病原菌が繁殖しやすくなった。免疫システムもバランスを崩して、アレルギーや自己免疫症が増え、癌もできやすくなった。

外に攻撃性を向けて事態を解決しようとすると、混乱はますます激しくなるというのが宇宙の法則だ。外に意識が向かうと内側のバランスが崩れる。武器を手にすれば、外からの攻撃性をますます引きつける。

その悪循環で得をするのは、武器を売る人たちだけなのだ。

風邪の特効薬が見つかったらノーベル賞ものだということは、昔から言われていた。それくらい風邪に効く薬はない。咳を止めるとか熱を下げるとか、症状を抑える薬ならあるけれど、それで風邪が治るわけではない。

抗体を作る薬の開発も昔から行われてきたけれど、風邪のウィルスと言われるものの抗体を作ることにはつねに失敗し続けてきた。抗体ができると、それが逆に感染を増すような作用を起こして、実験に使った動物はほとんどみんな死んでしまったのだ。

それを今度は遺伝子組換え技術を使ってやろうということになっているのだけれど、事態はますますひどくなるようだ。ウィルス感染が防げないどころか、かえって重症になるようなことになっている。そればかりか、免疫システムがおかしくなって、癌細胞が急激に増殖し始めたり、心臓が炎症を起こしたり、血液が身体中で凝固し始めたりと、異常な事態があいついでいる。

外から来るものに攻撃性を向ければ向けるほど、逆に攻撃を引きつけてしまうのだ。今の事態は、その最たるものだと思う。

病の原因が菌とかウィルスとか毒素とかの外から来るものだという考えは、200年ほど前に近代医学が始まったときに主流になっていったのだけれど、それまでの医学はそのような考えではなかった。病の原因とは、内なるバランスの崩れから来るものだから、そのバランスを整えることで病を治すことができるという風に考えていた。それは漢方でも西洋の近代以前の医学でもそうだし、ホメオパシーでもそうだ。

病が内なるバランスの崩れから来ると考えると、意識は外ではなく内に向く。そうなると、風邪の症状というものも、実のところはバランスを取り戻そうとして出ていることがわかる。熱を出すことで身体を暖め、だるくなることで身体を休め、感情が荒れることで抑圧されていた感情が吐き出されたりする。意識を内に向けて風邪の症状を感じてみると、それはすべて、これまでの生活のストレスで生じたバランスの崩れを修正しようとして出ていることがわかる。

それならば、症状を薬で抑える必要もなければ、感染を予防する必要さえないのじゃないかと思えてくる。そもそも内に生じたバランスの崩れを修正するために症状が出ているのだったら、その症状を起こしているというウィルスは、私たちの敵ではない。それどころか、私たちを癒してバランスを再生するために繁殖しているということになる。

そう考えるならば、風邪の抗体を作る薬がどうしてもできないというのも、納得できる。もし私たちの身体が必要としているものならば、身体が抗体を作るはずがない。いや、できてしまったら大変なことになる。もし人間が風邪も引かなくなってしまったら?

現代医療は、外に攻撃性を向けることで、人の意識をまるで戦闘状態のようにしてしまう。この2年ほどの状況で、そのことがとてもはっきりした。すべてをコントロールしようとする中で、つねに犠牲にされ削ぎ落とされてきたのは、人間らしい生き方だった。少しのずれも許されず、きっちりと管理され、風邪を引くことさえも許されないようなことになったのだ。

それを見ていて、風邪も引かない人間とは一体何なのだろうと思う。それは、失敗もまちがいもない人間を目指しているかのようで、何だかロボットにされたような寒々しさを感じる。外にばかり意識が向いて、あれやこれやを敵だと思い、攻撃性を向けていくと、人間はロボットのようになってしまうのだ。意識が内に向かなくなり、恐怖にばかり捉われて、愛を向けることがなくなっていく。

人間らしさとは、まさにまちがいを犯すことであり、失敗することではないのかと思う。いや、そもそもまちがいとか失敗とかいうことさえも、近代社会が生み出した幻想にすぎなかったのだ。ある一つのあり方、ある一つの基準値が正しいという考えで、近代社会は私たちを枠にはめ、管理しようとしてきた。それがここに来て、今のこの異常な事態を作り出し、ついに反転しようとしているのかもしれない。

敵視して排除しようとすればするほど、敵視しているものを引きつける。それで今の社会は、病を排除しようとして、ますます病を引きつけるようなことになっている。

ここまで極端な事態になってしまったのは、大きな転換のチャンスなのだと思う。医療システムを根底から問い直し、そもそも病は排除すべきものではなく、私たち人間の生に意味のあるものだったことを見直す時が来ているのだと思う。病を排除するのをやめてその意味を見直したときに、初めて病は暴走をやめて、調和する。そして私たちは、ついに病の恐怖から解放されて生きることができるようになるのだと思う。

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