「かかる人を聖者とよぶ ― 業」

 それは、仏陀が、コーサラ(拘薩羅)国の、イッチャーナンガラ(伊車能伽羅)という村にとどまっていた時のことである。婆羅門の出身のふたりの若者が、「聖者とは、そもそも、いかなる人をいうか」という論題をもって、仏陀を訪れてきた。ふたりは、この論題について論じあったが、どうしても結論にいたること、かできなくて、では、仏陀に問うてみようということになったのである。

 仏陀は、若い二人のために、この問題を懇切に解説し、説明した。経典は、その説明のことばを、すべて偈文を持って記しているが、その韻文をつらねること、じつに六十三節のながきにわたっている。その趣旨は、人の尊卑を決定するものは、その生まれではなくして、その業すなわち行為こそが決定的要素であるということであった。では、いかなる行為をなせる者が聖者と称さるべきか。仏陀があげた具体例のなかから、その主なるいくつかを、つらね記しておく。

「あらゆる束縛を断って、
恐怖あることなき者、
結びめを解きて自由となれる者、
かかる者を、われは聖者とよぶ。

罵らるるも、打たるるも、縛せらるるも、
心いささかもひるむことなく、
忍びたえる力においてまされる者、
かかる者を、われは聖者とよぶ。

いかりなく、よくつとめ、
徳ありて、むさぼりなく、
おのれを調えて、また迷いの生をくりかえさざる者、
かかる者を、われは聖者とよぶ。

蓮の葉につかざる水滴のごとく、
錐の尖にとどまらぬ芥子の実のごとく、
もろもろの欲望に愛着せざる者、
かかる者を、われは聖者とよぶ。

智慧ふかく、かしこきおもんばかりありて、
道と道ならぬとをわきまえ、
最高の道理に到達したる者、
かかる人を、われは聖者とよぶ。

弱きものも、また強きものも、
生きとし生ける者に筈をおさめ、
そこなうことなく、殺すことなき者、
かかる人を、われは聖者とよぶ。

悪意ある人々のなかにありて悪意なく、
筈を手にする人々のなかにありて筈をおさめ、
執着おおき人々のなかにありて執着なき者、
かかる人を、われは聖者とよぶ。

むさぼりも、いかりも、驕慢も、偽善も、
芥子の実が錐の尖より落つるがごとく、
ことごとく落ち去りたる者、
かかる人を、われは聖者とよぶ。

あらあらしき言葉を語らず、
道理と真実のことばを語り、
ことばによりて何びとをも傷つけざる者、
かかる人を、われは聖者とよぶ。

この世にたいして欲求なく、
かの世にたいして欲求なく、
愛執なくして、自由なる者、
かかる人を、われは聖者とよぶ。」

(増谷文雄著作『仏教百話』(筑摩書房、1985年))