■セレモニー(復活祭)
「死んだと思ったら生きていた=ばんざ~い!」

岐阜市の駐車場で、祖父と下山した後、行方不明になっていた6歳の男の子が、通報から7時間後の24日午後9時過ぎに見つかりました。大きなけがは無いということです。  

24日午後2時頃、岐阜市の百々ヶ峰(どどがみね)登山口の「ながら川ふれあいの森(キャンプ場)」の駐車場で「6歳の男の子が行方不明になった」と警察に通報がありました。行方不明になっていたのは岐阜市内に住む6歳の男の子で、標高418メートルの百々ヶ峰に祖父と登り、下山して車に乗りましたが、祖父がトイレに行っている間に行方がわからなくなっていましたが、24日午後9時10分ごろ、ボランティアの捜索グループが、駐車場から約300メートル離れた急斜面の下で座っていた男の子を発見しました。  

男の子に大きなけがは無く元気だということです。男の子を発見した人によりますと、男の子は、道路から滑り落ちた様子で座っていて、名前を呼んだら「はい」と答えたと言うことです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「キャンプ場で行方不明」と聞くと昨年9月の「小倉美咲事件」を思い出すが、もちろん無関係に見える2つの事件は密接に繋がっている。これらの事件に対しては所謂「陰謀説」というようなものも流布されている。曰く「売名行為」とか「保険金目当て」とかいう内容だが、この記事に対するコメントにそのような下劣な内容は書かないでいただきたい。

この記事に限らず、俺が書いている事件、事故の分析記事はすべて「カバラ数秘術」の解明がその目的であり、下世話な俗説など入り込む余地はない。皆さんの中には「信じられない」という方々も多いと思うが、このような事件の目的はすべて「数字」にある。

数字は悪魔に生贄を捧げる際の必需品であり、また悪魔と会話するための唯一のツールでもある。従って「生贄儀式」や「セレモニー(復活祭)」には、必ず「共通の数字」が組み込まれている。

生贄儀式やセレモニーには様々な「出来事」がある。児童の失踪事件だけではない。自殺や無差別殺人事件、または世界大戦や原爆投下や巨大地震や原発事故や伝染病の流行なども、すべて「共通の数字」が組み込まれている。

「キャンプ場で行方不明になるって不自然だよね」

そう思ったら、この話を思い出していただきたい。そしてこの数週間分の俺の記事に目を通していただきたい。驚くほどに「同じ数字」が確認できるはずだ。

「信じられない」
「聞いたことが無い」
「テレビでやってない」
「ありえない」
「こじつけだ」
「まやかしだ」

どのように否定しようと勝手だが、それらの数字は俺が組み込んだわけではない。俺はただただ、分析してるだけだ。世界は君たちの知らない「強大な力」によって稼働している。その力の象徴が「数字」となって浮かび上がっている。

余談ーーーーーーーーーー

国内で最も緻密にデザインされたセレモニー(復活儀式)は「日航123便墜落事故」における4名の女性の救出劇です。海外では「チリの落盤事故」における「33名の作業員」の救出劇が有名ですね。児童失踪事件なら「北海道・男児失踪事件(田野岡大和事件)などが記憶に新しいと思います。

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=921073975498262&id=100027870044411