「金属とアスファルトとコンクリートと」

僕の母は医師の心ない言葉で死を早めた。

「年を超えられないかもしれない」その言葉は母の耳にも届いていた。悔しくて堪らない。何故聞こえるように言うのか。母にとって信頼しきっていた医師の言葉。それは母の死期を早める言葉である。

僕の父はマスコミの心ない言葉で死を早めた。

「このままでは数百万人が死ぬ」その言葉は父の耳にも届いた。もちろん施設の従業員や経営者にも。そして僕らは父に会う術を奪い取られた。それは話好きの父の死期を早める言葉である。

人を死に追いやるのは、人の言葉であることが多い。毎日不安を煽る言葉を浴びかけ、人々の焦燥感と絶望感を増幅させ、死へと追いやる。マスコミの責任者も出演者もメディアも、自分が殺したとは夢にも思わないだろう。

大袈裟と言われるかもしれない。問題のすり替えとも言われるかもしれない。だが、実感として僕はそう思う。

今回のパンデミックは、間違いなく裏がある。大きな何かが蠢いている。今、それに気づくか気づかないかが試されている。生き残りゲームのIQテストである。

冷たく突き放す言葉がなぜ生まれるのだろうか。

金属とアスファルトとコンクリートとに囲まれる暮らし。そこには人々を健康する微生物はいない。心を麗してくれる微生物もいない。ただ張り付くような冷たさと、骨をも溶かす熱さしかない。

その中で人々は妄想し、謀略を巡らせ、そして多くの人の心を破壊して行く。

母と父に関して、僕は強い後悔がある。何故母と父を、この自然溢れる山の中に招待しなかったのか。言い訳はいくらでもある。母は病が進行し旅行は無理だとか、父は足が弱り歩くのが大変だとか。

だが、もう二度と後悔はしたくない。

僕は反発覚悟で多くの人に問いかけている。本当にそこにいていいのかと。その金属とアスファルトとコンクリートに囲まれたその場所で生涯を閉じていいのかと。

決断すれば、もっと穏やかな暮らしが待っている場所は必ずし見つかる。健康をもたらし、心を潤す微生物たちに囲まれた場所で暮らせるチャンスは絶対にある。

人は、ウイルスにより進化し、微生物を纏って生まれ、微生物やウイルスと共生して生きている。

もう元の世界には戻れなくてもいいから、与えられた暗い世界から抜け出し、自らが想像する希望に満ちた新しい世界で生きて行こう。

#母と父の位牌を見て思う
#鬱陶しい投稿で申し訳ない