【たかだか80年の人生のために】(死んだ後が本番です)
 
人が良くなっているのを羨む必要など毛頭ないんです。
 
この現象の世界で、いくらお金を持っていようと、地位がよかろうと、そんなもの関係ないです。
 
何故関係ないかというと、この世の中は消えてゆくからね。
 
自分が30だとする。 80になれば大概死んじゃう。
 
長く生きたって百までだ。 大して違わない、やがてなくなってしまう。
 
いかなる金持ちでも大臣でも、やがてその体というものはなくなるのです。
 
肉体がなくなってしまうとどうなるかというと、自分の想い、常に想っている想念行為が自分の未来を決定するんです。
 
自分のゆく先を決定する。幽界へ行くか地獄へゆくか、霊界へいくか神界へ行くか、それは現在の肉体の地位とか、お金の多寡(たか、多い少ないという意味)によるんではなく、自分の日頃からの行ない想いによって決定するんです。
 
長くてせいぜい80年。
 
ところが霊界というのは何百年か何千年かわかりません。
 
永久につづくんだからね。
 
たかだか80年のために、自分の命を穢(けが)して地獄へゆく必要はない。
 
本当に損ですよ。 この世のためだけにあくせくし、人をいじめ人を騙し、そうしてお金を儲けたところでたかがしれている。
 
それだけの話です。
 
ところが自分の生き方が俯仰天地(ふぎょうてんち)に恥じない生き方、いわゆる愛に満ちて親切で、思いやりがあって暖かで優しくて、そういうような行ないが出来る人は、たとえ貧乏であっても、赤貧(せきひん)洗うが如きであっても、その人の心は明朗に澄んでます。
 
何も悪いことはしない、少しでもお役に立っている気持ちになれますから、それは気持ちがよい。
 
その人はいつまでも貧乏ではいません。
 
その人は必ず貧乏でなくなります。
 
『光明の生活者』五井昌久講和集3 白光出版