アヴァンギャルド(前衛)たちは、現状をどう見ているのか?

現在の政府が一体何を代表(Represent)しているのか。
凡庸で、妄執に満ち満ちており、時代錯誤的である。
へーぞー&しんぞーを代表者とし、全員が同じ顔をしている。
怨念似非ナショナリズムだ。怨念、執念、残念の三念主義だ。

彼らは、マーケティング手法を駆使しB層を見事に取り込み、
17%の国民支持(獲得票数ベース)で、過半数-2/3の議席を確保することに成功している。
メディア(新聞、テレビ)、軍隊(自衛隊)、法の解釈権(検察、最高裁判所)の掌握という帝王学はしっかりと実践し、そこに人事権をマージさせ(人事局の創設)官僚も完全に制圧、配下に置いた。

『問題の根幹は日本政府、
 そして体制に迎合した国民による現状の黙殺だった』
(ドナルド・キーン)

『問題なのは、そういう脳の暴走や免疫系の機能不全に、
 “身体そのもの”であるはずの主権者が、
 いつまで経っても気づこうとしないことだ。』(想田和弘)

『だまされたものの罪は、
 ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、
 あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、
 思考力を失い、信念を失い、
 家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた
 国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが
 悪の本体なのである。』(伊丹万作)

Following Quotations Fully Shared from Hitoshi Kouzaki:

■映画作家・想田和弘氏のコメント
①日本は今、非常によくない状況に進んでいます。低温ヤケドのようにじわじわと全体主義が進んでいる。僕に言わせれば『熱狂なきファシズム』…さらに深刻なのは、これでいいんだと思っている人が実は多いのではないか、という点です。(2017-6-6東洋経済ONLINEより)

②問題は、脳(内閣)が身体のあちこちに病原体や癌を生じさせても、国会や裁判所やマスメディアや警察などといった免疫システムが適切に反応せず、スルーを決め込んでいることである。……だが、それ以上に問題なのは、そういう脳の暴走や免疫系の機能不全に、“身体そのもの”であるはずの主権者が、いつまで経っても気づこうとしないことだ。(2019-3-20「マガジン9」より)

■映画監督・伊丹万作氏のコメント
だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。(略)
また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。

つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。

そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独Comments力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。

そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
(1946年8月『映画春秋』創刊号より)

現在の政府が一体何を代表(Represent)しているのか。
凡庸で、妄執に満ち満ちており、時代錯誤的である。
へーぞー&しんぞーを代表者とし、全員が同じ顔をしている。
怨念似非ナショナリズムだ。怨念、執念、残念の三念主義だ。
彼らは、マーケティング手法を駆使しB層を見事に取り込み、
17%の支持で、過半数-2/3の議席を確保することに成功している。
メディア(新聞、テレビ)、軍隊(自衛隊)、法の解釈権(検察)という帝王学はしっかりと実践し、そこに人事権をマージさせ(人事局の創設)官僚も完全に配下に置いた。

□以下、ドナルド・キーン:
「太平洋戦争に至る過程では、権力中枢のごく少数が国民をだましたといえる。だまされた国民は兵士となって加害者となり、被害者にもなったのだ。だが、問題の根幹は日本政府、そして体制に迎合した国民による現状の黙殺だっただろう。軍部の暴走を誰も止められず、終戦に至るまで黙殺は続いた。私はアッツ島や沖縄の上陸作戦に実際に参加し、戦争がいかに悲惨で無意味なものかを身をもって体験した。同じ過ちを繰り返してはならない」(『ドナルド・キーンの東京下町日記』東京新聞2015-8-9)
以下全文:
【ドナルド・キーンの東京下町日記】
「暴走黙殺の果て」 2015年8月9日
七十年前の今月、太平洋戦争が終わった。戦時中、米海軍通訳士官だった私は、多くの日本人捕虜と接してきた。その数は何百人になるだろうか。全員がそうだったわけではないが、多くは捕虜になったことを恥じていた。「どうせなら死んだ方がよかった。殺してくれ」「日本には帰れない。家族に合わせる顔がない」と頭を抱えた。
「日本兵が捕虜になったことはない。神武天皇の時代からの伝統だ。捕虜となるなら玉砕せよ」と、日本兵はたたき込まれていた。いわば洗脳である。一九四三年五月、日本軍最初の玉砕の地となったアリューシャン列島のアッツ島の戦いに私は参加した。
日本兵は勝ち目がなくなると、最後の手りゅう弾を敵に投げるのではなく、自分の胸にたたきつけて自決した。そんな遺体が散らばっていた。全滅ではなく玉砕。他の国ではあり得ない光景だった。
民間人も「女は辱めを受け、男は戦車にひき殺される。捕虜になるなら自決しろ」と言われていた。サイパン島では若い母親が幼子を抱えて次々と崖から飛び降りた。その悲劇を米誌が報じると、日本の新聞はそれを「日本婦人の誇り」と美化して伝えた。

日本兵は本当に捕虜になったことはないのかと、私は疑問に思い、戦時中に調べてみた。すると、日露戦争では多くの日本兵が捕虜になった記録が残っていた。捕虜の扱いについて定めたジュネーブ条約を盾に、「ウオツカを飲ませろ」と収容所の待遇改善を求めた将校までいた。
それが、太平洋戦争時には一変していた。「勝てない」と言われていた日清、日露両戦争に日本は勝ち、力を持った軍部はおごりと野心からか、国民に「日本は神の国」と刷り込んだのだ。
太平洋戦争時に書かれた日本人作家の日記を読み返してみると、当時の世相が垣間見える。言論統制の影響も大きかったろうが、真珠湾攻撃の直後には高揚感にあふれる記述が目立っていた。

反戦的で親米派といわれた吉田茂元首相の長男の健一でさえ、「暗雲が晴れて陽光が差し込んだ」と興奮気味だった。伊藤整は「この戦争を戦い抜くことを、日本の知識階級人は、大和民族として絶対に必要と感じている」「民族の優秀性を決定するために戦うのだ」と書いた。
だが、太平洋戦争の結末は言うまでもない。日本が優勢だったのは最初の半年程度。四二年六月のミッドウェー海戦が転機となり、米国の圧倒的な物量に押されて、占領地を次々と失った。
当時、南洋諸島で最大の飛行場があったテニアン島を奪った米軍は、日本各地を空襲した。私は不思議で仕方なかった。イタリア、ドイツが落ち、日本は勝てるはずもないのになぜ降伏しないのか。勇ましい大本営発表は続いた。一方で東京は大空襲で壊滅状態に。沖縄は占領された。広島と長崎に原爆が落とされ、何十万人もの命が奪われた。

戦後、私が知り合った日本人の大多数は「勝てるはずがなかった」と自嘲気味に話した。だが、分かっていたなら、なぜ開戦したのか。旧満州(中国東北部)の建国に続き、日本軍のフランス領インドシナへの進駐で日米関係は決定的に悪化した。外交交渉には譲歩も必要だが「神の国」は突き進んでしまった。

開戦後も、私の友人で日本生まれの米工作員ポール・ブルームは欧州駐在の日本人武官を通じて終戦工作に奔走した。日本側からの反応は常に「敵にだまされるな」。理性的に考えた形跡はなかった。
戦前も戦時中も、戦争への反対意見はあった。高見順や清沢洌(きよし)、渡辺一夫らは、時代に翻弄(ほんろう)されながらも日記に反戦をつづっていた。

太平洋戦争に至る過程では、権力中枢のごく少数が国民をだましたといえる。だまされた国民は兵士となって加害者となり、被害者にもなったのだ。だが、問題の根幹は日本政府、そして体制に迎合した国民による現状の黙殺だっただろう。
軍部の暴走を誰も止められず、終戦に至るまで黙殺は続いた。私はアッツ島や沖縄の上陸作戦に実際に参加し、戦争がいかに悲惨で無意味なものかを身をもって体験した。同じ過ちを繰り返してはならない。 (日本文学研究者)
東京新聞。
*Hitoshi Kouzaki(神前格):
東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院、東芝中央病院などを経て、現在大阪市の手島病院に勤務(副院長)。内科医師。医学博士。

《写真》ニュースウォッチ(NHK)

『問題の根幹は日本政府、
 そして体制に迎合した国民による現状の黙殺だった』

*ドナルド・キーン(Donald Keene、1922年6月18日 - 2019年2月24日)欧米視点から日本を語らせたら随一。

アメリカ合衆国出身の日本文学者・日本学者。コロンビア大学名誉教授。日本文学と日本文化研究の第一人者であり、文芸評論家としても多くの著作がある。日本文化の欧米への紹介でも数多くの業績がある。ケンブリッジ大学、東北大学、杏林大学ほかから名誉博士。